「いい間違えただけ」なんていいわけは通用しない件について

「はてサの総攻撃」ですとw しかしトーチカに向かってテレコに着剣した小銃担いで突撃しても自分を刺しちゃうのがオチなんだからさ。で、「これは撤退ではない、転身である」と言い張ってる状態。

まあ、「裏」「背理法」といった用語をミスった私も悪いんだけれども、議論の中身ではなく、誤用を嵩にかかって攻めるお猿さんとかマジ見ていられない。

いやいやいや。「裁判をしないと戦争犯罪という主張は、適当な裁判でも裁判をしたのなら処刑OKと解釈できてしまいます」という主張が必要条件と十分条件を混同している、とも指摘しておいただろ? 「数学」でなければ「対偶」が常に成立するとは限らない、という主張も批判しておいただろ? 用語をミスっただけじゃなくて議論そのものが論理性を欠いとるのよ。


彼がいかに「日本軍を免責する」という目的のために場当たり的な主張を繰り出しているか、一つの事例(全部とりあげてたらきりがない)で確認しておきましょう。

私は「現代では法に明記されたもののみが違法となる価値観があり、近代はそうではかったんですか?」(近代でも法律主義は同じだったろうに、という意味です)と言いました。
(http://d.hatena.ne.jp/tdam/20110110/1294651353#c1294659231)

「無裁判処刑は犯罪、という国際法の条文がないから戦争犯罪とは言えない」という主張の前提になっているのがこれ↑であるわけです。しかし、例えば日本の刑法には「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」という条文はありますが、どういう場合に正当防衛が成立するか、どういう場合には成立しないかについてまで「法に明記」してあるわけではありません。すると殺人で起訴された被告人の弁護人は「被告人の行動が正当防衛にあたらないことを規定した法の条文はありません、よって被告人は無罪です!」と言えばすむことになってしまいます。そう指摘すると、こんな言い逃れをしてきました。

それは正当防衛の範囲が「判例」で決まっているからだろ。
(http://d.hatena.ne.jp/tdam/20110110/1294651353#c1294671833)

はい、これでもう「法に明記」云々は意味を失ってしまったわけです。実際、「法に明記されたもののみが違法となる価値観」なんてものが社会を支配したら大変ですよ。しかし「判例」があるからには、裁判所は「法に明記」されていないような事態についても法的判断を下してきたわけです。そもそも現実に生じる全ての事態を予期してそれら全てをカヴァーする条文を書くことなんてできませんから、当たり前のことですが。「無裁判処刑は犯罪、という国際法の条文がない」からといってそこでストップして「戦争犯罪とは言えない」と断定する必然性などありません。この人は「南京では何もなかった(否定)論には無理があり、何が(何人の虐殺が)あったのかを明らかにする段階だと思う。まず「虐殺」の定義をどうするか、どう分けるかを考える。」なんて一見すると真っ当そうなことを書いてますが、実のところ「虐殺」の「定義」についてなどなに一つ「考え」ていないのです。犠牲者数が最も少なくなるような「定義」を採用することはこの人にとって既定路線であって、それ以外の可能性などはなっから頭にないのです。その証拠がこれです。

そんなのは、条文の内容ではなく理念を言っているだけですから法的拘束力はありません。
(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20110109/p1#c1294671148)

「そんなの」とはハーグ陸戦法規の前文から私が引用した箇所を指しています。そこには例えば「斯の如き非常の場合に於ても尚能く人類の福利と文明の駸駸として止むことなき要求とに副はしむことを希望し、之が為戦争に関する一般の法規慣例は一層之を精確ならしむるを目的とし、又は成るべく戦争の惨害を減殺すべき制限を設くるを目的として」とか「締約国は、其の採用したる条規に含まれざる場合に於ても、人民及交戦者が依然文明国の間に存立する慣習、人道の法則及公共良心の要求より生ずる国際法の原則の保護及支配の下に立つことを確認するを以て適当と認む」といった文言(強調は引用者)があります。そう、「明文」の規定がないことについても「文明国の間に存立する慣習、人道の法則及公共良心の要求より生ずる国際法の原則の保護及支配の下に立つことを確認」した、というのです。彼にとって国際法の「理念」なんてのはどうでもよく、ただ犠牲者数を値切ることだけが目標なのです。国際法には「兵士が軍服を脱いで逃げたら戦争犯罪」であるとする「明文」の規定などありません。しかし日本軍が中国軍の敗残兵や市民を「便衣兵」だと判断する場面では明文規定の不在も「疑わしきは被告人の利益に」もどこかにいってしまいます! 「便衣兵」認定には明文の根拠など不要としておきながら、彼らを殺害することが犯罪だとする明文の根拠がない、というのが要するに彼のいっていることであるわけですが、これほどまでに恥知らずな主張というのはそうそうお目にかかれるものではありません(でもないかな……)。倫理的退廃という観点から考える時、彼の思考はまぎれもなく歴史修正主義者のそれです。彼にとっては、非武装で無抵抗でかつ戦争犯罪を犯したという確証もない人間を軍事的必要性がないのに殺すことは「人道の法則及公共良心の要求」に反していないのですから!