ここは一つ魯迅精神で

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20110111/p1#c1294726413
こいつ、「裁判をしないと戦争犯罪という主張は、適当な裁判でも裁判をしたのなら処刑OKと解釈できてしまいます」と書いたことについて「皮肉」だと釈明してるわけですが、これがまるで釈明になってません。「裁判をしないと戦争犯罪」を「裁判なしの殺害ならば、それは戦争犯罪である」と、「適当な裁判でも裁判をしたのなら処刑OK」を「裁判ありの殺害ならば(裁判なしの殺害でないならば)、それは戦争犯罪ではない」と表現し直してみましょう。これが「皮肉」足りうるのは、前者から後者が論理的に導ける場合のみです。もしそうなら、前者を主張する者は後者をも主張することになりますから、「適当な裁判でも裁判をしたのなら処刑OKと解釈できてしまいます」は「皮肉」になっていると解釈できなくもないでしょう。しか〜し! 「裁判ありの殺害ならば(裁判なしの殺害でないならば)、それは戦争犯罪ではない」は元の命題の「裏」です。そしてもちろん、元の命題の裏をとる操作は真理保存的ではありません。言い換えれば、前者から後者を論理的に導くことはできないわけです。したがって当該発言はまるで「皮肉」として成立していないのです(笑) にもかかわらずこれが「皮肉」だと言い張る以上、彼は裏をとる操作が真理保存的だと考えているのでしょうw
なお、「裁判をしないと戦争犯罪という主張は、適当な裁判でも裁判をしたのなら処刑OKと解釈できてしまいます」が「皮肉」でなくただの言いがかりであることは、別段「裏」とか「対偶」といった概念を知らなくてもわかりますよね。裁判が不当ならやっぱ処刑も不当だろ、と。
もう一つ。

>「数学」でなければ「対偶」が常に成立するとは限らない、という主張も批判しておいただろ?


これは用語の誤用を素直に認めただろ。それで"議論そのものが論理性を欠いとる"なんてよく言えるな。

これはすごいですよ。元々の発言は「数学ではない限り、ある命題の裏が常に成立するとは限りませんので」であるわけですが、ここには二つの問題があります。まず、「常に成立する」のは「裏」ではなく「対偶」だということ。これはまあ「用語の誤用」と弁解する余地があります。これだけ、なら。しか〜し、彼は「「対偶」と「裏」とをテレコで覚えてしまっている」と認めたあとでなお、こう言っています。

私が言いたいのは、何度も申し上げているように、「「南京事件において便衣兵であるから裁判なしで処刑してよい」とは言えない」というuchyaさんの主張が正しいとしても、その裏である「南京事件において便衣兵であるから裁判なしで処刑することは違法、虐殺にあたる」が証明できたわけではないということです。

で、これに対して私が「それを仮言命題のかたちにしてみろよ」と問いつめたら逃げたわけです。「南京事件において便衣兵であるから裁判なしで処刑してよい」とは言えない」を「捕虜の殺害が法的な手続きを経て行なわれていないなら、殺害に正当性は認められない」と書き換えることにしましょう。この命題が真だとしてもその「裏」が真であるとは限らない(前者から後者を論理的に導くことはできない)のは本当です。問題は、元の命題の「裏」が「捕虜の殺害が法的な手続きを経て行なわれているならば、殺害に正当性は認められる」になる、ということです。これは「南京事件において便衣兵であるから裁判なしで処刑することは違法、虐殺にあたる」とはまったく異なる命題です。「南京事件において便衣兵であるから裁判なしで処刑することは違法、虐殺にあたる」が「南京事件において便衣兵であるから裁判なしで処刑してよい」とは言えない」の裏ではない以上、彼の発言は端的にナンセンスです。上の例とあわせ、むしろ端的に論理学の基礎がわかってないのだと考えるべきでしょう。
(ちなみに、これは別段「裏」だの「対偶」だのと言うまでもない、「正当」という概念と「違法」「虐殺」という概念との関係の問題です。彼は正当でない殺害でも虐殺とは限らない、と言いたいわけですね。ばかばかしい主張です。)
しかし問題はこれだけではありません。元発言の「裏」を「対偶」と読み替えたとしましょう。彼は「数学」以外の領域、すなわちいまここで行なわれているような言論においては「対偶」が真理保存的ではない、と主張しているわけです。これは断じて「用語の誤用」の問題ではありません。対偶のように基本的なツールを放棄して議論などできるものか? ということを私は問題にしているわけです。

元の命題Pの対偶をCとすると、PとCの真理値は必ずしも一致しない、ということになる。さらにこのCの対偶をとってやると元の命題Pになるはずなのだが、「マイナスとマイナスをかければプラスになる」かのように真理保存的でないプロセスを2回重ねれば真理保存的になるというわけじゃないから、PとPとの真理値は必ずしも一致しないことになる!

彼はこれに対して何も答えていません。


追記:頼まれもしないのに id:tdam は次々と自分の棺桶のふたにくぎを打ってくれます。

「なんとも思わん」なんて一言も言っていない!不当であるという点では一致、「違法」かどうかを争っているんだろ!大馬鹿者。
(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20110111/p1#c1294728284)

彼は裁判抜きでの殺害が「不当」だったことは認めている、と言ってるわけですが、これは本当でしょうか? 「"正当性は認められない"=明確に戦争犯罪といえるかどうかだと思います。数学ではない限り、ある命題の裏が常に成立するとは限りませんので」の「裏」を「対偶」と読み替えると「"正当性は認められない"=明確に戦争犯罪といえるかどうかだと思います。数学ではない限り、ある命題の対偶が常に成立するとは限りませんので」となります。ここで「捕虜の殺害が裁判を経た殺害である」をP、「捕虜の殺害が正当である」をQとするとうちゃさんの主張は(そして私の主張も)「PでないならばQでない」となります。これの対偶が「QであるならばPである」となります(正当な殺害なら、裁判を経ている)。しかし彼はこの対偶が真とは限らない、と主張しているわけです。では「QであるならばPである」を否定してみるとどうなるか? not(Q→P)は QかつnotPと変形できますが、これは「正当でありかつ裁判を経ない殺害である」を意味します。対偶が真理保存的でないならば「裁判を経ていない殺害だからといって正当でないとは言えない」ということになるわけです。すなわち、彼は無裁判の処刑が不当ではないと主張しているのです!