伝聞から断言へと移行する人

関連:「岡村寧次大将陣中感想録」(厚生省引揚援護局)表紙

まず、この資料は虐殺派学者の某書に於て『岡村寧次大将陣中感想録』として引用されているようですが、偕行文庫所蔵資料の本当のタイトルは『岡村寧次大将回想録』です。
 『岡村寧次大将陣中感想録』でも『岡村寧次大将陣中回想録』でもありません。
 多分、前書き部分に「本書は岡村寧次大将の陣中感想録である」旨が註記されていますので、これをタイトルと混同してしまっているのでしょう。
 学術書としては(誰の学術書とは言いませんが)、引用資料のタイトルを間違えている時点で二流です。(岡村寧次大将陣中感想録でググってみると面白いですよ)

と書いているdeliciousicecoffee氏*1なのだが、「南京の真実」情報交換掲示板ではこう書いていた。

『岡村寧次大将資料』(1970年出版)の後半の回想編の原資料は、『岡村寧次大将回想録』(1954年編纂)が本当のタイトルとのことです。

「伝聞」として書いていたのに、いつの間にかご自身でウラを取ったようです(笑) しかし不思議ですね。表紙の現物ないしコピーを見たことがあればこういうことは書かないはずなんですが*2

さて、では内容的に「終戦後の日記の内容と、後半部分の回想編の内容が矛盾」しているかどうかですが、これはべつに矛盾でもなんでもありません。というのも、前半部分はあくまで戦犯容疑者たる谷元第6師団長弁護論だからです。そして第6師団について「ほとんど罪のない方」とは言われていても「全く罪のない」とは言われていない。第16師団と比較しつつ谷元師団長を弁護するのであれば当然こういう書き方になるだろう、という想定の範囲内に収まる表現です。逆に言えばこの弁護論は第16師団の罪は認めているわけですが。
追記:さらに言えば、「第6師団の罪=谷中将の罪」ではありません、厳密に言えば。第6師団の将兵は南京攻略戦にあたって多くの戦争犯罪を犯したが、師団長の責任は監督不行き届き、不作為のそれである。これに対して中島中将は第16師団の戦争犯罪により積極的に関与していた…と認識していたとすれば(そしてそうした認識はある程度実態に即していると私は考えますが)、「終戦後の日記の内容と、後半部分の回想編の内容」とは整合的に理解できます。(追記終)


次に「四、五万に上る大殺戮」という表現の解釈について。

まず注意しなければならないのは、俘虜を約四、五万殺戮した、とは書かれていないことです。
ましてや、市民を不法に殺害したという認識は後段を読んでみても皆無です。

前半はその通りですが、後半には飛躍があります。原文そのものが曖昧で「四、五万に上る大殺戮」の対象が誰なのかははっきりしない、ただし少なくともその一部は捕虜である(それゆえ、一般市民を含む「四、五万」だという可能性もある)、というのが正しい読み方でしょう。

多数の俘虜が使役されている現実を目にしながら、派遣軍に俘虜を殺す悪弊があるのは事実と判定するのは不自然です。

「多数」がどの程度の数を指しているのかがはっきりしない以上、不自然とは言えません。「多数の俘虜が使役されて」いたがそれより更に多数の中国軍将兵が捕虜となり、その多くが殺害されてしまった…という可能性を否定する根拠はなんらありませんから。


追記:もう1点。

つまり岡村氏は「終戦後戦地に於」ける期間、蒋介石の意向を無視できない状態にあったと推測できます。

これについてはまあ、「そういうこともあっただろう」と言うことは出来ますが、『岡村寧次大将陣中感想録』が現在のようなかたちになったのは1954年、厚生省引揚援護局の手によって、なんですな。仮に国民党の目をはばかって削除、改変した部分があったとしても、この54年の時点で元に戻せばすむだけのことです。「戦史資料」として一般には非公開で残すことを目的として作成したのですから、そうした部分があったとすれば当然元に戻しただろうと考えるのが自然でしょう。というわけで、余計な勘ぐりをする必要はない、ということになります。

*1:引用に関する一般的な慣習を無視しているので気づくのが遅れたのだが、これってYahoo!掲示板からのコピペかよ。

*2:deliciousicecoffee氏への情報提供者がテキトーなことを言ったのでないとすると、考えられるのは目録の表題と表紙の表題が食い違っている、という可能性です。その場合どちらが真正なタイトルか…というのは議論の余地がありますが、少なくとも表紙の表題にしたがった表記を「引用資料のタイトルを間違えている時点で二流です」などと評するわけにいかないのは明白でしょう。