またしても陰謀論噴出の予感

asahi.com 2007年04月25日16時49分

カラーの戦後日本、写真集に GHQカメラマン撮影


 満面の笑みを浮かべる昭和天皇や皇后、皇居桜田門星条旗を掲げる連合国軍総司令部(GHQ)兵員……GHQ専属カメラマンのディミトリー・ボリア氏が終戦直後の日本を色鮮やかにとらえたカラー写真約3万点が、米バージニア州にあるマッカーサー記念館で眠っている。「敗戦」を如実に物語る史料だが、日本ではあまり知られていないこの写真が、カラー写真集として今月下旬、出版された。
(後略)

昨日の夕刊には「にっこり 昭和天皇」という見出しつきで、1950年に撮影された笑顔の昭和天皇の写真が掲載されている。写真集は『GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン カラーで蘇る敗戦から復興への記録』(杉田米行編著、アーカイブス出版)として発売。


追記:ちらっと立ち読みしてみたのだが、東京裁判の被告たちもカラー写真で撮影されている。ただ、写真集というのは買ってもブログで扱う題材にはしにくいので悩むところ。


asahi.com 2007年04月26日08時01分

逝く昭和と天皇、克明に 卜部侍従32年間の日記刊行へ


晩年の昭和天皇香淳皇后に仕え、代替わりの実務を仕切った故・卜部亮吾(うらべ・りょうご)侍従が32年間欠かさずつけていた日記を、朝日新聞社は本人から生前、託された。天皇が病に倒れて以降、皇居の奥でおきていた昭和最後の日々が克明に記されている。天皇靖国神社参拝取りやめについては「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と記述。先の戦争への悔恨や、世情への気配りなど、天皇の人柄をしのばせる姿も随所に書きとめられており、昭和史の貴重な記録といえそうだ。
(中略)
 靖国神社参拝取りやめの理由についても記述されている。


 最後となった天皇の記者会見から数日後の88年4月28日。「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」。「靖国」以降の文章には赤線が引かれている。


 昭和天皇靖国神社A級戦犯合祀に不快感を吐露したとみられる富田朝彦宮内庁長官(当時)のメモも同じ日付。天皇は富田長官と前後して卜部侍従にも戦犯合祀問題を語っていたことになる。そして、卜部侍従は亡くなる直前、「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(01年7月31日)と記している。
(中略)
 日記は「昭和天皇最後の側近・卜部亮吾侍従日記」全5巻として、5月以降朝日新聞社から順次刊行される。

富田メモ=捏造」説に固執していた者は、この卜部日記も捏造ないしは陰謀ということにするのだろう。旧日本軍が残した文書も「自虐的な日本の公式資料」扱いするひとがいるくらいだから、侍従を連合軍の手先扱いするくらいは朝飯前さっ!


2chの反応。
http://megalodon.jp/?url=http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1177544576/&date=20070426141821
http://megalodon.jp/?url=http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1177557724/&date=20070426175817
http://megalodon.jp/?url=http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1177565577/&date=20070426232005
http://megalodon.jp/?url=http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1177588197/&date=20070427005805
http://megalodon.jp/?url=http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1177603505/&date=20070428110459