第32軍司令部の実態

米国陸軍省編の沖縄戦史、『沖縄 日米最後の戦闘』(外間正四郎訳、光人社NF文庫)を読んでいると、当初の長期持久戦の方針を覆して第24師団を主力とした積極反攻を決定した5月2日の第32軍の作戦会議について、「酒は流れるようにくみかわされ、会議は次第に緊迫したものとなり、しばしば激しい口論まで飛び出した」という記述がある(297頁)。戦略的にいって敗北が必至の情況で戦術を云々することにほとんど意味はないが、無駄な戦死者を増やした方針変更であったことは間違いない。そのような重要な決定が酒を飲みながらくだされたというのは容易には信じられないはなしなのだが、『日本軍兵士・近藤一 忘れ得ぬ戦争を生きる』(青木茂、風媒社)には次のようにある。

 前線の兵士が死のうが苦労しようが高級幹部は無関係ということなのであろう。近藤ら下級兵士が沖縄戦の最前線の戦場で、食べるものも食べないで五〇日も六〇日も死線をさまよい、そして殺されているさなかに、日本軍の司令官たちはデタラメな作戦を指揮しデタラメな生活をしている(144頁)。
 第三二軍参謀長・長勇中将の副官を務めていた人と敗戦後に戦友会で近藤は会い、長参謀長について二つだけ質問し確認する。長参謀長は、自分だけの専用の料理人として民間人の板前を働かせ自分専用の食事を作らせていたこと。いつも酒びたりで最後までそのやり方を変えなかったことの二点は事実なのかと。長参謀長の副官だったその人は、近藤から質問されてしばらく押し黙った後、問われた二点は事実だと答えた。

高級軍人が戦場でも贅沢をしていることへの道義的な非難はこの際するまい。しかし何千という兵士の生死を分けた決断が酒のうえでなされていた(それも一参謀の逸脱というより、司令部全体の体質と思われるしかたで)のだとすると、やはり看過できない問題ではないだろうか。