Iris Chang, "The Rape of Nanking" (1)
先日ご報告した通り、某所の紀伊國屋で The Rape of Nanking のペンギン・ブックス版が売られていたので買ってみました。どうも読んでもいないのに(なにしろ邦訳されてませんから)テキトーに批判されているフシがあるので。現在、Part I(Part IIIまである)のchap.2にはいったところ。
ここで「虐殺の現場」マークが安全区内にはなく、城内より城外に多いことに注目(といっても、以前からここをご覧いただいている方にとっては周知の事実なのだが)。最近「原初的南京事件とは安全区での出来事だ」とか「第6師団は安全区にははいっていないから南京大虐殺とは絶対に関係がない」などと奇怪至極なことを言う人々がいるので、アイリス・チャンの主張でも虐殺は安全区の外で、また城内よりもむしろ城外でおこなわれたとされていることを改めて強調しておく。
なお、南京にある大屠殺紀念館の展示でも、本書とほぼ同じ*1地図が使われているようである。「ようである」というのは現物を見たことがないけれども、見学に行かれた方のブログ*2で写真を見たから。
Introductionでは、旧日本軍の戦争犯罪を告発する中国系アメリカ人のネットワークが、もともと天安門事件を受けた中国への抗議行動によって強化されたものだ、とあるのが目を引く。もう1点。
さらに重要なことは次のことである。ある時点での、ある場所における日本人の行動を批判することは民族としての日本人を批判することである、と言うならば、南京で命を奪われた老若男女のみならず、日本人にとっても迷惑なことである。本書は日本人の性格についての論評を意図したものではなく、またこうした行為を行なう民族の遺伝的資質についての論評を意図したものでもない。本書は文化的な力、われわれすべてを悪魔にし、人間を人間足らしめている社会的な制約とい薄い皮膜をとりさりもすれば、それを強化することもある力についてのものである。
(p.13)
南京事件についての語りが本質主義的に理解されることに関して、きちんと釘が刺されている。もちろん、このように断っておいたからと言って実際の語りが本質主義を免れる保証はないし、読者が本質主義的に理解してしまわないという保証もないのだが、それでもこのように断り書きがなされているという点は重要である。
第一章は日本史のおさらい…ということでかなり退屈。まあ想定している読者がアメリカ人だからしかたないけど。近代日本を特徴づける被害者意識の背景にも触れられていて、近代における欧米列強の行動への批判的な眼差しを感じることもできる。第一次上海事件のきっかけとなった日本人僧侶襲撃事件が、田中隆吉による謀略であったことには触れないなど、実態以上日本に有利(!)な記述もある。
第二章では日本軍が南京へと進撃する様子が記述されるのだが、日本軍が三手に分かれて進軍した、すなわち中島部隊、松井部隊、柳川部隊である…と、第16師団を独立させて記述しているのが注意を引く。第16師団が果たした役割の大きさもあろうが、編成上は上海派遣軍に属するとはいえ、他の師団とは異なり11月になってから上海より上流に上陸した部隊であるから、上海派遣軍の他の部隊とは別扱いにするのも根拠のないことではない。ただ、中島今朝吾中将の経歴について "chief of the Japanese secret police for Emperor Hirohito" と記述しており(憲兵司令官だったことを指していると思われる)、こういう無造作なところが批判を招く素だとは言えそうだ。中島は37年に廣田内閣が総辞職して宇垣一成に組閣の命が下った際、組閣を阻止する陸軍の動きに関わっていて*3、憲兵司令官の職務をおとなしく務めていたわけではないとはいえ、である。