自コメントについての補足
共同声明についてのGedolさんのエントリにコメントしました。私なりにGedolさんのおっしゃることを要約するなら、声明文中の「南京事件ないし南京大虐殺は否定する余地のない歴史的事実です」という表現(後述するように、あえてこの部分はニュアンスを排した強い表現にしています)が含意しかねない単純化についての認識論的な危惧、ということになるかと思います。これについて私は次のようにコメントしました。
# Apeman 『おっしゃることの主旨はわかるように思います。ただ、
>逆に彼の芸風的にはこの声明文の形じゃないと違和感爆発になっちゃうし。
というところはちょっと誤解があるようなので釈明をば。
「南京事件」が「個別の事件の集合体」というのはその通りです。理想的な認識のプロセスとは「個別の事件」についての究明が進み「全体像」がおおむね見えてきたところで「これを南京大虐殺と呼ぶことにしよう」ということになる…といったものだと思われますが、現代史に属する出来事についてはなかなかそういう具合にはいきません(歴史認識ではなく政治の問題としては、全体像が見えてくるのを待てない場合がある、という問題もありますし)。南京事件の場合、組織的な調査が行なわれたのが事件から8年近くあとになってからで、それも国共内戦や戦犯裁判を早期に終わらせるというアメリカの方針の影響もあって完璧を期した調査とはとうてい言えなかったにもかかわらず、結果として軍事裁判の判決が「全体像」に大きな影響を与えてしまったわけです。
だから、例えば「南京事件=東京裁判で認定された出来事でありそれ以上でもそれ以下でもない」と定義すればなるほど「南京事件はなかった」のです。また私自身の、純粋に個人的な関心から言えば、別に「南京事件の真相はどうだったか?」というかたちで問いを立てる必要はないのです。「南京事件」という呼称は上海と南京の間で起こったことを隠蔽する効果も発揮しかねませんから。暫定的に期間を区切るとして、第二次上海事変から南京占領が一段落するまでの37年8月〜38年3 月の期間に、揚子江デルタ地帯全域で起こったことをきちんと調査し、それを歴史的出来事として認定するのと引き換えにであれば、「南京事件」という呼称が使われなくたってかまわないのです。
他方で、こういう問題もあります。ある出来事についての初期に出来上がった「全体像」が間違っていたことがその後の調査で判明する…というのはよくあることです。例えば天安門事件について。Wikipediaから一部引用します。
> 中国政府の発表によれば、天安門事件による死者は319人に留まるが、死者数千人説もある。また、中国当局の発表を鵜呑みにしてはならないが、天安門広場の中(あくまで広場の中だけ)に限れば、学生たちは軍の説得に応じて整然と退去しており、しかもその様子は、うまく広場に潜り込んでいたスペインのテレビクルーによって撮影されており、死者数が民主化勢力が主張するものよりは出ていないと思われる。また、この暴圧に参加した軍人も市民や学生の手によって数多く殺されている。自国民の鎮圧という事実の方が重要であり、死者の多寡は副次的な問題とする考えもある。
立場を入れ替えて考えてみると、南京事件「論争」に非常に構図がよく似ていることがお分かりいただけることと思います。さてここで南京事件否定論者の口ぶりを真似て「(当初言われていたような意味での)天安門事件はなかった」と言うべきなのかどうか。もちろん、初期に出来上がったイメージとその後の調査との齟齬がどの程度なのかが重要なファクターであることはもちろんですが、それだけではありません。「天安門事件はなかった」という主張は、「ではその代わりにどのようなことが起きており、それはどう名づけられるべきなのか」を明らかにする誠実な努力を伴わない限り、中国政府を免罪する政治的効果を持ちます。南京事件についても同様です。現時点で「南京事件はなかった」と主張する論者の中に「ではその代わりにどのようなことが起きており、それはどう名づけられるべきなのか」という問題に誠実に取り組んでいる論者はいない、と私は考えます。だから「南京事件は否定できない事実だ」という一文は、「南京事件はなかった」という主張の政治的効果に対抗するための、その意味ではきわめて政治的な主張です。』 (2007/02/25 10:54)
# Apeman 『追記:上記はあくまで私個人の認識であって、いうまでもなく共同声明に賛同した他の方の主張を一切拘束しません。「南京事件はなかった(中国のプロパガンダによる捏造だ)」という主張よりも「南京事件はあった」という主張の方にコミットする、というのが共通の地盤であり、どのような理由で後者にコミットするかはそれぞれの方にお任せしています。また、「南京事件はなかった」か「南京事件はあった」かの二つだけが選択肢であってそれ以外の立場はありえない、と主張するものでもありません。』 (2007/02/25 11:00)
補足しておくと、「南京事件ないし南京大虐殺は否定する余地のない歴史的事実です」という強い表現には「蛮行の詳細については各自の見解を保持する権利を保留します」が対応しています。前者だけを強調すれば「そんな単純化されたはなしにはのれない」とおっしゃる方がいてもおかしくないですし、逆に後者だけを強調すれば「そんな腰の引けたことでどうする」とお怒りの方がいてもおかしくありません。否定論の政治的行動への対抗言説だという意味だけでなく、この意味でも「政治的に配慮された」表現にしたつもりです。
しかしこれは「歴史認識を政治的判断に従属させる」ことを意味するわけではありません。第一に、特に現代史に属する出来事の場合、政治から自由な歴史認識がありうると安易に想定するのは危険ですが、一定の自律性をもった学問としての歴史学を尊重するならば、もちろん政治的判断のために歴史認識を単純化してはならない。しかし翻って考えるなら、否定論の活動に対して異を唱えることは純然たる歴史認識の問題ではありえない、というのもまた現実です。なぜなら南京事件否定論はひとつの政治的な運動―現役の国会議員や、歴史教科書の作成に関わる人間をメンバーないし賛同者にもち、CSの有料放送とはいえテレビ局までもった―として存在しているからです。もちろん、否定論に対抗するうえでの政治的表現が「南京事件ないし南京大虐殺は否定する余地のない歴史的事実です」というかたちをとらねばならない、というではありません。しかし「詳細については各自の見解を保持する権利を保留」したうえで「南京事件はあった」(なかった、ではなく)という主張にコミットする者たちが共通の意思を表明することがあってもよいだろう、と考えたわけです。
第二に、歴史認識に関わる倫理的(政治的、ではなく)な決断の問題があります(これに関連して本館で書いたエントリはこちら)。南京事件を口にするのが中国政府だけなのであれば歴史認識と政治の関係だけを考えておけばよいかもしれません。だが、直接当時を知る生存者こそ(当時10歳でも今年で80歳ですから)数少なくなってきているとはいえ、例えば「祖父が殺された」「隣の家のおばあさんが殺された」といった程度の近さでもって南京事件を考える人々はまだしばらく存在し続けるわけです。私たちはそうした人々に潜在的には出遭っているし文字通りの意味で出遭うことだってありうる。それに対してどのような態度をとるのか。否定論に与しない保守派の間では秦郁彦の主張に人気があるようですが、例えば犠牲者数を4、5万人と推定したとして、そこから「だから(犠牲者30万人の)南京大虐殺はなかったのだ」と結論するか、「いや4、5万人といえば大虐殺といっておかしくない/数は問題ではなく*1、大虐殺といわれておかしくないほどのことが起きたという事実が大切だ」と結論するか(もちろん、これ以外の選択肢がないといっているのではありませんが)純粋な歴史認識の問題ではなく、倫理的な決断でもあります。
以上は「南京事件ないし南京大虐殺は否定する余地のない歴史的事実です」という表現についての、あくまで私個人の注釈です。共同声明に参加したそれぞれの人には、また別の注釈をつける権利があることは言うまでもありません。