ドサクサまぎれにテキトーなこと書いてもらっては困る

映画『靖国』については現時点で取材対象者、被写体となった人物が李監督なり映画会社なりを訴えるという事態にはなっていない。という事実のみをもってして「なにが問題なの?」「当事者が訴訟起こしてないのに代理であれこれいうなんてそれどこのクサレサヨクですか?」と片付けてもいいのだが、まあ日本にはお年寄りをダシにして訴訟を起こしては敗訴する(だけでなく原告に不利な新事実の発掘に貢献してしまう)ことを得意技とする弁護士(兼国会議員)もいることだし、将来訴訟が起きないとは限らないので、ここんところはまあおくとしよう。
すでに述べたことだが(ここここ)、VAWW-NETNHKほかに対して起こした民事訴訟の高裁判決は、取材対象者が番組の仕上がりを気に入らなくてつけたクレームはすべて受けいれるべし、なんて内容ではない。編集権が原則として番組制作者側にあるという点では別に最高裁判決と対立なんかしておらず、取材対象者の期待が法的保護に値するようになるための条件について、最高裁判決よりはちょっと取材対象者に有利な判断をした、ということにすぎない。

 また,放送事業者に対しては,取材によって得られた素材を自由に編集して番組を制作する編集の自由は,取材の自由,報道の自由の帰結として憲法上も尊重されるべき権利であり保障されなければならず,これが放送法3条の趣旨にも沿うところであるから,取材過程を通じて取材対象者が何らかの期待を抱いたとしても,それによって,番組の編集,制作が不当に制限されることがあってはならないというべきである。
 しかしながら,他方,取材対象者が取材に応ずるか否かは,その自由な意思に委ねられており,取材結果がどのように編集され,あるいはどのように番組に使用されるかは,取材に応ずるか否かの意思決定の要因となり得るものであり,特にニュース番組とは異なり,本件のようなドキュメンタリー番組又は教養番組においては,取材対象となった事実がどの範囲でどのように取り上げられるか,取材対象者の意見や活動がどのように反映されるかは取材される者の重大関心事であることから,このような両面を考え合わせると,番組制作者の編集の自由と,取材対象者の自己決定権の関係については,取材の経過等を検討し,取材者と取材対象者の関係を全体的に考慮して,取材者の言動等により取材対象者がそのような期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるときは,番組制作者の編集の自由もそれに応じて一定の制約を受け,取材対象者の番組内容に対する期待と信頼が法的に保護されるべきものと評価すべきである。
(高裁判決より)

イ 放送事業者が番組を制作し,これを放送する場合には,放送事業者は,自ら,あるいは,制作に協力を依頼した関係業者(以下「制作業者」という。)と共に,取材によって放送に使用される可能性のある素材を広く収集した上で,自らの判断により素材を取捨選択し,意見,論評等を付加するなどの編集作業を経て,番組としてこれを外部に公表することになるものと考えられるが,上記のとおり,放送事業者がどのように番組の編集をするかは,放送事業者の自律的判断にゆだねられており,番組の編集段階における検討により最終的な放送の内容が当初企画されたものとは異なるものになったり,企画された番組自体放送に至らない可能性があることも当然のことと認識されているものと考えられることからすれば,放送事業者又は制作業者から素材収集のための取材を受けた取材対象者が,取材担当者の言動等によって,当該取材で得られた素材が一定の内容,方法により放送に使用されるものと期待し,あるいは信頼したとしても,その期待や信頼は原則として法的保護の対象とはならないというべきである。
 もっとも,取材対象者は,取材担当者から取材の目的,趣旨等に関する説明を受けて,その自由な判断で取材に応ずるかどうかの意思決定をするものであるから,取材対象者が抱いた上記のような期待,信頼がどのような場合でもおよそ法的保護の対象とはなり得ないということもできない。(…)
最高裁判決より)

したがって、この訴訟における最高裁判決を批判し高裁判決を支持する者*1にとって、刀匠の「期待権」を盾に映画『靖国』に対して右派メディアがつけたクレームは別段倫理的、政治的ジレンマを構成するようなものではない。だって、高裁判決が指摘するような「特段の事情」に相当する事実なんて指摘されてないから! チャンネル桜のキャスターが用意した文書をカメラの前で刀匠に読ませる、なんて猿芝居なら行なわれたけど、例えば「撮影した映像は、日本刀の製作についての技術的な問題に関わる部分以外は、一切使用しません」とかいった李監督の念書が出てきたわけじゃない。だいたい、実際に映画を見てみれば、刀匠も映画が靖国問題に触れるものだと認識していたことは明白である。だって、刀匠の方から李監督に「小泉首相靖国参拝をどう思いますか?」って尋ねてるんだから。李監督は当初日本刀についての映画をつくるつもりだったのに、サヨクの国会議員が国政調査権を盾に(笑)「こんな内容では助成金の使い道として妥当だったかどうか、調べる必要がありますなぁ」と圧力をかけた結果、ポストプロダクションの段階で急遽靖国神社についての映画になった、なんて事実も存在しないわけである。


というわけで、「刀鍛冶の人の期待権を根拠に映画『靖国』を批判している人は別の論拠を考えるように」*2なんてのは、「心の狭い学究」であれば最高裁判決を待つまでもなく高裁判決を前提としても言っておかねばならないことだと思うのだが、この一節をブクマコメで無批判に引用しちゃってる社会学者もいたりするので困ったものだ。というわけで、「まあNHK事件で「不当判決」とかいつもの垂れ幕出してる人たちにじゃあ『靖国』の件はどう考えるのかとか聞いてみたいところはある」に対しては「高裁判決が指摘するような、特段の事情が成立してるんですか?」と問い返せばすむわけである。

*1:ただし、女性戦犯法廷を支持するとか番組への安倍らによる圧力はあっただろうと考えることと、高裁判決を支持することとはひとまず独立の問題である。私自身は、最高裁判決について直ちに「不当判決」とまでは言えないと考えており、本来の問題がNHKへの政治的圧力であった以上、やっぱ政治の場で決着をつけるしかないだろうなぁと思っている。とはいえ、VAWW-NET民事訴訟という手段で争ったことを批判するわけではもちろんない。

*2:おかしいな。トラバ送ったつもりだったんだが。