「アジア・太平洋戦争」って言いたくないだけと違うん、それ?

『日本を滅ぼした国防方針』(黒野耐、文春新書、2002年)を読みはじめたところ、しょっぱなでつまづいてしまった。「プロローグ」は「大東亜戦争という呼称」という見出しのつけられた節で始まっている。「先の大戦」をどう呼ぶかは「本戦争の歴史的意義をどのように評価するかという歴史観にもとづいている」(7ページ)というのはまったくもってその通りであるし、一般によく用いられる「太平洋戦争」という呼称が「アメリカだけとの戦争という錯覚を起こしがちになる」(8ページ)というのもその通りなのだが、では著者(自衛隊出身者)がどういう呼称を選ぶかといえば、「六カ国を相手に、太平洋・東亜全域で戦われた戦争という実態をイメージできる「大東亜戦争」の呼称を使用したいのである」(同所)、ときた。
奇怪なのは「近年になって「太平洋戦争」とする呼称が定着しているが」という著者の認識。家永三郎氏の有名な『太平洋戦争』(岩波書店)は1968年刊で、また CiNii を使って「太平洋戦争」という用語を含む論文タイトルを検索すると1950年の論文にまで遡ることができる。これらをもって直ちに「定着」とまでは言えないだろうが、個人的な記憶に照らしても「太平洋戦争」という呼称が一般化したのが「近年」であるとは思えない。
「近年」に提唱されている呼称としては「アジア・太平洋戦争」がある。CiNii では1990年の論文に遡ることができるが、95年以前のものはわずかで、多くは2000年頃以降のものだから、2002年刊のこの本が出た時点で「定着」していたとは言えないにせよ、研究者ならこの呼称が提唱されていること自体は承知していたはずである。だが、「プロローグ」では「アジア・太平洋戦争」という呼称には言及されていない(「十五年戦争」はある)。
ちなみに同書では「東亜」は「シンガポールバイカル湖を結ぶ線(タイ、蘭領インドを含む)以東の地域」と定義されている(16ページ)。しかし例えばビルマはこの定義による「東亜」には含まれないことになる。戦争の空間的な広がりを正確に捉えているという基準(それだけが呼称の妥当性の基準ではもちろんないが)に照らせば「アジア・太平洋」の方が「大東亜」より妥当となるはずなのに……。