「さかのぼり日本史」がひどかった(追記あり)

NHK Eテレで放送されている「さかのぼり日本史」。昨年の夏に「昭和 とめられなかった戦争」をやって、今年の2月には江戸時代を扱っていたので、今頃はさらにさかのぼって室町時代でもやってるのかな(しかしそもそも「室町幕府」は実在したのか!?)と思ってたんですが、昨晩寝る前にテレビをつけたら、いつのまにか時代を下って「昭和 “外交敗戦”の教訓」の第3回をやってました。しかしこれがひどかった。詳しくはまた後ほど。このエントリに追記します。


追記
5月15日に放送された「さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓」の第3回は「国際連盟脱退 宣伝外交の敗北」と題し、国際連盟脱退に至った経緯をとりあげている。ゲストは服部龍二中央大学教授。番組の焦点は田中上奏文をめぐる松岡洋右と顧維鈞の駆け引き。顧が論拠とした田中上奏文を松岡が「そのような文書が天皇に上奏された事実はない」「もし本物だというならその証拠を提出してもらいたい」と反駁。本国に連絡し「本物である証拠は提出できない」と回答された顧は「そのような証拠は日本のしかるべき地位の者にしか入手できない」と取り繕ったうえで、「証拠はともかく、この問題についての最善の証明は今日の満州で起きている現状である」と、現実が田中上奏文を裏付けているという主張へとシフト。だがこの論争が欧米で報道されるたびに、日本の軍事行動が印象づけられることになった、と。その結果、リットン報告書よりも日本に厳しい対日勧告案が可決されることとなる。
服部教授は「松岡は顧維鈞を論破した気になっていた」とコメント。だが第三国にとっては田中上奏文の真贋よりも、顧維鈞が指摘した「現実が上奏文を裏付けている」という点の方が重要だった、と。驚いたのはその次。松岡には田中上奏文の真贋論争に持ち込むのではなく、「受け流すという選択肢もあった」というコメント。真贋論争に持ち込んだことでかえって国際世論に印象づけたから、と。これを受けて番組ホストのアナウンサーが「そうしますと、外交というのは何が真実かということ以上に、宣伝や情報戦というようなことも、大きな力を持つんだ、ということなんですね」と発言。で、服部教授のまとめのコメントが次の通り。

国際政治には、事実関係とは別に、情報戦という次元がある、ということであります。言い換えますと、本物であるかどうかということと、第三国の受け止め方ということは違う、ということです。つまり、田中上奏文のような明らかな偽書、あるいは俗説といったものであっても、ひとたび外国に流通してしまえば、それを否定することは難しいことですよね。だからといって不用意に真偽論争に持ち込めば、かえって宣伝に逆用されてしまうこともある、というわけです。したがいまして、田中上奏文というのは、国際政治における宣伝、さらには情報の重みということを、今に伝えているのではないでしょうか。

「情報戦」という言葉が飛び交うので一瞬「チャンネル桜を見ているのか?」と錯覚しそうになったが、まあ外交に「情報戦」という側面があるのはその通りだからよいでしょう。しかし「受け流すという選択肢」が一体何を意味するのか、またそれを採用していたら一体どのような展望が開かれたのかがさっぱり分かりません。顧維鈞の主張に説得力を与えていたのはなによりも関東軍の振る舞いだったわけですが、どんな「情報戦」を戦えば国際社会がこれを看過してくれたんでしょうか?