朝日新聞、「歴史と向き合う 被害と加害意識の変遷 小熊英二さんに聞く」

今日(27日)の朝刊に掲載。「戦後日本での戦争の歴史の語り方は、1970年前後に大きな変化がありました」との認識を示す。被害経験を強調する語りから「アジアへの加害が強調されるようになった」、と。私はこうした変化が決定的なものになったのは80年代だと考えているが、70年前後に変化があったというのは確かだろう。これは日本だけの現象ではない。というのもこの時期は戦後生まれの世代が大学生になった(であった)時期で、ドイツでも若い世代が親世代の責任を糾弾していた。小熊は小田実の『随論 日本人の精神』から次のような箇所を含む一節を引用している。

『(…)若者は広島の平和集会で、重い口をようやく開いてとつとつと自分の被爆体験を語り始めた年老いた女性をさえぎって、「あなたの体験のことはもうみんなが知っていることだ。そんなことより問題はあなたが自分が加害者だった事実をどれだけ認識されているかだ」と居丈高にいってのけた』。

小田実が「加害者だという認識」の必要性を説いたのは「被害者だからこそ加害者になる」「米国に逆らえない日本は、米国の被害者でもあるが、米国のベトナム政策を支持する加害者でもある」という「重層性」を自覚すべきだという趣旨だったのに、70年代の若者は「せっかちで思い上がったことをやってのけ」た、というのである。
今日では、旧軍の戦争犯罪に関心をもつ人間が被爆者の語りをさえぎるといったことは考えにくいし(実際、「あなたの体験のことはもうみんなが知っていること」どころか、『十七歳の硫黄島』がそうであるようにまだまだ語られずにきた「体験」は存在しているのである)、「被害者だからこそ加害者になる」という視点は、例えば南京事件研究一つをとっても十分考慮されているように思う。70年代に「せっかちで思い上がった」動きがあったのはその通りなのかもしれないが、しかしじゃあそうした動き抜きで、旧軍の戦争犯罪を自発的に追求する動きが一つの潮流たり得たか? という問題もあろう。