「善き日本人」

野原さんの3月24日付のエントリはどれも非常に興味深いので、ぜひみなさまにもご覧いただきたい。


良い日本人もいた。その名は警察署長。より引用。

思うに、なかった派の人たちは、「慰安婦を感情的にもどうしても必要とした兵士たちの悲しい気持ちを一方的に裁断する左翼を嫌悪する」みたいなことをいいたがるが、それは口先だけであり、彼らの身体はつねに「国家の無謬性」だけを志向する薄っぺらで希薄な正義だけで構成されている。
しかしながら少し考えたら分かるように、戦争という人殺しを組織的に行いながらも、そこから一歩はずれたところでは、国家や国家エリートというものは人間として良識的に(愛や仁という規範にそった)振る舞うことが要請されているのだ。下っ端のヤクザとつるんでいると言うこと自体が嘆かわしい。管理権はすべて自らが持ちながら、あとから追求されたときには経営者は民間だといって言い逃れする。みっともないことこの上ない。

一つ付け加えるなら、「なかった派の人たち」にとって人間はそっくり善良であるかそっくり邪悪であるかであり、またある民族はそっくり善良であるかそっくり邪悪であるかである、ということになるだろう。だから「家庭では善き夫、善き父」だった人間が戦場では残虐行為に手を染めうることを否認するし、旧軍の戦争犯罪を否認せずにはいられないのだ。
さて、「戦争中のちょっといいはなし」を捜せばそれこそ数限りなくあるだろう。元兵士の従軍記などを読んでいると必ず一つや二つは出てくるものである。私も自分が読んだ文献から紹介したことがある。

両書ともに一抹の救いは、到底達成できようもない作戦を遂行するふりだけをしてメンツを守ることよりも部下の命を優先させた将校がいたこと(『餓死した英霊』、44頁)、担当地域において憲兵隊から住民を守ったが故に、後に戦犯として起訴された際に地元の女性と警察官が証言台に立って弁護してくれた*1ため、1千人以上の民間人が殺害された事件の被告であったにもかかわらず禁固12年という比較的軽い罪ですんだ将校がいたこと(『BC級戦犯裁判』、125頁)など、「あたりまえのこと」を「あたりまえに」行なうのが困難な状況で「あたりまえのこと」をあえて行なった人間が存在したことである

こうした「良い日本人」を顕彰することにまったく異議はないのだが、肝心なのは彼らのふるまいが当時の「空気」を読むことによってではなく、「空気」に同調することを拒否したからこそなされた、という点である。言い換えれば、「日本人」という与えられた枠組みにとどまることを是としなかったからこそ彼らは「良い日本人」として記憶されることになった、ということである。

*1:日本軍への憎悪がまん延していたであろう法廷で被告の将校を弁護した地元の女性と警察官もまた、しないですませようと思えばしないですませることができたのに、あえておこなうことを選んだ人々である。