一つの典型

狡猾な人間が注意深く封印しているレイシズムをむき出しにして語る人々は、いっけんしたところお上品な言説の背後に隠れているものを明らかにしてくれる、という意味で役に立つこともある。

南京でレイプや強盗などの不埒な行為に及んだ日本軍兵士の手記をだされたとき、保守派が”人間集団の中には一定の比率で悪いやつがいるのはあたりまえで、それが集団全体が悪かったというふうにはいえない”と弁明したときには、
”たとえ一部がしでかしたことでも、同一組織のメンバーは責任をのがれられないんだよ!一人一人が看板背負ってんだよ!”などと、修学旅行の校長先生みたいな説教するくせに、
逆に保守派が日本でピッキング強盗をする中国人のデータを出せば、”中国人が全部強盗じゃありもしないのに、まるで中国人全員が強盗であるかのように印象づけようとしてる!なんて偏った印象操作だ、おまえはヘイトだ!とのたまう。
http://d.hatena.ne.jp/natamaru123/20070324/1174756637

ご本人はよくできたたとえ話だと思っているのかもしれないが、「日本軍兵士」と「ピッキング強盗をする中国人」との間に極めて大きな違いがあることに気づいていない(この人の場合、たぶん本当に気づいていない)。中国政府が、十五年戦争中に個人として大陸にわたり、そこで犯罪を犯した日本人に関して日本政府に謝罪を要求したなどというはなしは聞いたことがない。他方、人民解放軍が日本で作戦行動をおこない、そこで解放軍兵士が犯罪を犯したというのであれば、「南京事件=あった」派は当然中国軍と中国政府の責任を追及するだろう(南京事件否定派は、否定論のロジックをそのまま中国政府に利用されてぐうの音も出ないかもしれない)。この人物にとっては「日本軍の兵士であること」と「日本人であること」と「自分であること」のあいだに当然あって然るべき位相の差というものがみえない。だからこそ旧軍の戦争犯罪はなんとしてでも否認されねばならないというわけである。
なお、蛇足だが、「たとえ一部がしでかしたことでも、同一組織のメンバーは責任をのがれられないんだよ」というのは「一億層懺悔」のロジックであり、「虐殺=あった」派の関心は「集団全体が悪かったかどうか」などといったところにはもちろんない。また右派がただ「ピッキング強盗をする中国人のデータ」を出すだけ、なんてことも実際にはない。