関東軍の極秘文書発見
日中戦争で捕虜になった中国人兵士らを旧満州国(中国東北部)に連行し、建設現場で「特種工人」として働かせるため、旧日本軍が1943年に作成した極秘の取扱規定が見つかった。中国・吉林省の公文書館にあたる档案(とうあん)館に残されていた関東憲兵隊の内部文書を、愛知県立大学の倉橋正直教授(中国近現代史)らが入手した。賃金を各部隊が一括保管して本人に支払わないことを明文化するなど、不明な点が多い中国大陸での中国人強制労働の実態解明につながる内容になっている。
(後略)
昨年の正月にも中国吉林省の公文書館で関東軍の文書が発見された、という報道があったのだが、その後も調査が続いていたということなのだろう。
識者としてコメントしている内海愛子氏も指摘するように「表向きは「国際条約を守っている」という主張も可能な表現を」とった文書なので、その運用実態とあわせて評価する必要があるだろう。その意味では一面トップのこの記事よりも3面に掲載された「関東軍文書 各労働明るみに 相次ぐ脱走・暴動」の方が興味深い。「昭和18年 労務関係綴」という文書についての記事で、当時の関東軍総司令官梅津美治郎が捕虜を華北から満州へと移送して使役することを命じた文書とともに発見されたという。
追記:言わずもがなのことかな、と思って書かなかったけど、朝日の記事でも触れていないし、予想通りある種の方々にはこの記事が不評だったみたいだから補足しておくと、「日中戦争」の捕虜なのに満州へ、ってところもポイントですわな。当時の日本側の立場では別の国のはずなのに。もう一つは「捕虜」ではなく「特種工人」の取扱規定になっているところ。43年だから中国が対日宣戦布告をして日本側も「支那事変開時点始に遡って」対英米戦争とあわせて大東亜戦争と称する、とした後のことだが、日本は汪兆銘の南京政権を正式な政府と称していたわけだから、法的にはいろいろと微妙な問題がある。陸軍は結局中国戦線では捕虜収容所をつくっていないし(上海に赤十字向けの“らしきもの”はつくったようだが)。(当時の)日本側が「捕虜じゃない」と主張するなら、捕虜としてではなく労働者としての処遇が必要なはずで、「部隊でプールしておいて必要経費を差っ引き、余ったら渡す」といったタコ部屋方式が通用するはずもない。もうちょっと調べる必要があるが、ここは(ようやく買った)『日本軍の捕虜政策』の出番ですな。