相沢事件の公判記録、発見

1935年、陸軍省軍務局長だった永田鉄山が執務室で斬殺された相沢事件の公判記録が、中国吉林省の档案館(公文書館)でみつかった、とのこと。

朝日新聞 08年2月27日朝刊
「2・26」の引き金 相沢事件 青年将校の動機 克明 公判記録、中国に


 第2次世界大戦前の1935年(昭和10年)、相沢三郎陸軍中佐が陸軍省最高幹部を斬殺し、翌年の2・26事件の引き金の一つになったとされる「相沢事件」の軍法会議の内容を憲兵隊が記録した極秘文書が、中国・吉林省公文書館にあたる檔案(とうあん)館で見つかった。朝日新聞記者が複写を入手した。2・26事件の前日に繰り広げられた法廷での応酬や、同事件による中断後、完全に非公開とされた公判の概要などが、治安当局の目で記録されている。相沢事件の正規の公判調書は残っていないとされ、研究者は「法廷にいた憲兵が記録した価値の高い一次資料」としている。
(後略)

原文のルビを( )内に記した。大谷敬次郎の『昭和憲兵史』(みすず書房)によれば、「東京憲兵隊は相沢公判の進行いかんによっては、青年将校の蹶起は必然だとの治安判断を持ち、その動静偵知に全力を傾けていた」(157ページ)とのことなので、そうした関心の一環として残された記録なのだろう。


殺された永田鉄山少将(事件当時)は陸士16期、同期の小畑敏四郎、岡村寧次、一期下の東條英機らと「バーデン・バーデンの密約」を結んだとされる件が有名だが、その「密約」の実質はともかくとしてその当時(1921年)においても軍の薩長閥が問題とされていたあたりに、「国民国家」形成の道のりが平坦でなかったことがうかがえる。東京憲兵隊作成の資料が関東軍憲兵隊司令部に送られたのは、当時の司令官が東条だったことと関係があるのかもしれない。


吉林省档案館ではこのところ旧日本軍関係の文書がいくつも見つかって報道されている。
関東軍の極秘文書発見
吉林省公文書館で満州国関連文書発見
当ブログでも上の2件をとりあげていた。今回報道された文書は関東軍憲兵隊司令部の庭に埋められていたものが戦後発見されたものだという。