Chosun Online の記事が言及している公電について

先日、江蘇省社会科学院歴史研究所が全78巻に及ぶ南京大殺資料集を完結させたという記事が Chosun Online (朝鮮日報)に「「南京で最低30万人殺害」 日本の機密公電収録(上)」「「南京で最低30万人殺害」 日本の機密公電収録(下)」というタイトルで掲載された。記事中、

 「特別情報:信頼できる目撃者による直接の推算と信頼できる人物の手紙によると、日本軍が犯した行為と暴力はアッティラ王と匈奴(きょうど)を連想させる。(編注:5世紀に東欧一帯を征服したアッティラ王は匈奴の子孫とされるフン族の王)少なくとも30万人の民間人が殺りくされ、多くは極度に残酷で血なまぐさい方式で殺害された。戦闘が終わって数週間がたった地域でも、略奪や児童強姦(ごうかん)など民間に対する残酷な行為が続いている」


 1937年に日本軍による南京大虐殺が起きた直後の38年1月、日本の広田弘毅外相が在米日本大使館に宛てて送った機密公電の一節だ。

とされていた点について掲示板で簡単にコメントしておいたのだが、記事へのブクマを見ると事情をご存じない方も少なくないようなので、改めてエントリ化しておくことにする。
実はこの公電がとりあげられたのは今回が初めてではない(( )は原文ママ)。

Since return (to) Shanghai a few days ago I investigated reported attrocities committed by Japanese Army in Nanking and elsewhere. Verbal accounts (of) reliable eye-witnesses and letters from individuals whose credibility (is) beyond question afford convincing proof (that) Japanese Army behaved and (is) continuing (to) behave in (a) fashion reminiscent (of) Attila (and) his Huns. (Not) less than three thousand Chinese civilians slaughtered, many cases (in) cold blood.

引用の範囲が少し違っているが、明らかに同じ電文である。そしてこれを引用しているのはアイリス・チャンThe Rape of Nanking(原書104ページ)。彼女はこの電文を“日本人も当時においては犠牲者数が30万人規模であると信じていた”ことの強い根拠となると考えていたようである(同書103ページ)。しかし……

 アイリス・チャンと李恩涵が再度、南京大虐殺の犠牲者数について発言をした。チャンは、米国立公文書館東京裁判関係資料のなかに、二六万人の死体埋葬が確認できる記録があるといい、李は米国立公文書館にある広田外相がワシントンの日本大使館あてに送った一九三八年一月一七日付の電報には、南京大虐殺三〇万人以上という記載がある、と述べた。

ここでは電文に言及しているのはチャンではないが、発信者・宛先、日付、そして内容がすべて一致しているので同じ電文を指していることは明らかだ。上の引用に続いて、次のような指摘がなされている。

 二人の発言を批判するかたちで、楊大慶が、広田外相の電報は、マンチェスター・ガーディアンの特派員ティンパレーの電報を転送したものであり、日本政府が作成した資料ではない、さらに同電文は「南京その他の地域で三〇万人を下らない民間中国人が殺された」と記しているのであり、南京大虐殺三〇万人の資料にはならない、と発言した。
笠原十九司、『南京事件三光作戦』、大月書店、284ページ)

そもそも残虐さを表現するためにアッティラ大王を引き合いに出すというのは日本人としてはかなりありそうにないことであるから、チャンや李恩涵は文書の性格についてもっと慎重に考えるべきであった、と言えよう。この電文が示しているのは、日本の外務省が欧米ジャーナリストの認識を承知しており、それが報道されたり欧米政府に伝わった場合の対策をとる必要性を感じていた、ということである。当時外務省の東亜局長だった石射猪太郎の日記や戦後の回想をみれば、外務省の幹部は相当な規模の戦争犯罪が行なわれていたことについては情報を得ていただけでなくそれを信じてもいたことがわかるが、「南京その他の地域で三〇万人を下らない民間中国人が殺された」とまで信じていたことを伺わせる資料は私の知る限り存在しない。学問的な議論の蓄積を無視するのは歴史修正主義者の大きな特徴であるけれども、しかし同時にそれはマスメディアを含め誰もが陥りがちな陥穽であるということをこの記事は示している。もって他山の石としたい。
なお、楊大慶は上記発言に続いてこうも指摘していることを付け加えておきたい。

彼はまた、日本の外交史料館には広田電報の発信番号の控えはあるのに文書はない、これは、吉田裕・一橋大学教授が指摘しているように、敗戦前後に日本の外務省、政府、軍部が戦争責任にかかわる文書を大量に焼却した証拠の一つであると付言した。
(同所)