関連エントリについて

http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080104/1199438826
ひどい歪曲ですな。

一般人は、ひたすら専門家の意見をありがたく聞くだけで、

一般人はその意見に疑問を持つことは許されないし、

自分から何かを発言するなどもっての他ということですね。

hokusyuさんが言っているのは「怠惰なバカ野郎がまじめな研究者のやっていることに対して何事かを物申す権利はこれっぽっちも無い」ということであり、「一般人がまじめな研究者のやっていることに対して何事かを物申す権利はこれっぽっちも無い」ではない。


http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080104/1199438859
これも「あんたは多忙で睡眠不足の内閣総理大臣じゃないだろ?」ですむはなし。
第一に内閣総理大臣は国政全般に関して常に何かを問われ、それに答えねばならない立場にある。しかし「一般人」は南京大虐殺について私見を公に表明するよう迫られる立場にはない(日本の市民として、旧日本軍の戦争犯罪に対する態度が問われる、という倫理的な問題は水準が異なる)。頼まれもしないのに「興味」も「知識」もない問題に口を出しておいて、知識や関心の欠如に開き直られてもな〜。
第二に、総理大臣に「3分でできるブリーフィング」を行なう担当者は、後にそのブリーフィングから欠落した部分を直接総理に対して補完することができる。「3分でできるブリーフィング」はそのまま外部に垂れ流されるわけではない。どこで誰が読むかもわからないブログのエントリとははなしが違う。


http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080104/1199446715
なんで「もちろん、私は事実を確認のしようがありませんが」なんて嘘をつくかな。good2ndさんがブクマコメントでおっしゃっている通り。

「確かめるつもりはない」とか「確かめる責任を感じない」じゃなくて?

ま、fromdusktildawn氏が以上のような稚拙ないいわけを許容する人々を読者として想定しているのなら、私がそれについてできることはなにもない。


CloseToTheWallさんの一連のエントリは「論争」の状況を非常に的確にまとめておられる。一点のみ。
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080104/p1

私が前の記事で扱ったのも、その種の論者についてであり、虐殺数は過大ではないかという程度の疑問に私は即座に歴史修正主義者だという非難を投げつけるつもりはない。ただ、なぜ三十万が過大だと思うのか、という点についてはかなり考慮が必要だろう
(強調は引用者)

ここはかなり重要なところ。日本側の資料(特に重要なのが戦闘詳報)の多くが失なわれ、参戦将兵の多くも口をつぐむか旧軍弁護に走る傾向があり、中国側も諸々の理由で1980年代になるまではきちんとした調査を行ってこなかったという前提の下では、現存する資料から数字を積みあげて「最低でも○○人くらいの犠牲者が出た」という議論は可能でも、上限についての断定的な主張はきわめて困難。にもかかわらず、実に薄弱な根拠で「30万はありえない」と考える人が多すぎるのではないか。むろん、一般論として被害者側の被害についての主張が誇大になる傾向がある、という世間知には経験的な裏づけがあろう(ただしその裏面として、加害者側の加害についての主張が過少になる傾向がある、という世間知も意識してほしい)。だから「30万人というのは多いんじゃないかなぁ」という“感触”をもつことを責めることはできない。しかしそれを「白髪三千丈の国だから」といった本質主義的な民族観や、「原爆でも使わないと30万人は殺せない」といった地上戦についての誤った認識によって正当化してはならない、ということ。
他にも、刑事責任ならぬ倫理的な責任が問われている時に、実証面でガチガチに固められた部分だけを問題にすることが正しいのか? という問題もあるが、これについては以前に書いたことがあるのでご参照いただきたい。


http://d.hatena.ne.jp/rna/20080104/p1
これについてはまずブクマコメントとコメント欄の反応から。

ono_matope 歴史 『新書一冊読むだけで否定論の大半はトンデモだというのがわかりました』その読んだ本が偏向していないという確信は果たして持てるんだろうか

いうまでもなく秦郁彦は『諸君!』や『正論』の常連寄稿者の一人で、保守派・右派の歴史家なわけで。旧日本軍の戦争犯罪というのが日本において左右の対立の焦点の一つになっていることをふまえた時、左派の歴史家と右派の歴史家が一致して認めている部分についてはまあ揺るぐことのない史実だろう…と考えるのは常識的な判断なのでは?

名無し 2008/01/05 09:03
もしかして南京事件で騒いでいる人は新書を読んだだけで分かった気になっている人たちなのか。それって恥ずかしいと思う。

rnaさんは「南京事件で騒いでいる人」じゃないし、また「否定論のダメさを知るだけなら事実を正確に理解する必要すらない」とも指摘してますよね? 「アポロは月に行ってない」という主張をトンデモだと判断するためには膨大な文献を読む必要があるか? ということですよ。
で、これに関連してrnaさんから問いかけられてるわけですが。

ただ、えー、これ言うと Apeman さんに叱られそうですが、否定論のダメさを知るだけなら事実を正確に理解する必要すらないと思っています。進化論の論文が理解できなくても「科学とは何であって何でないか」を知っていればID理論のダメさはすぐにわかるのと同じ事かと。言いすぎ? で

私はそもそも中学・高校で南京大虐殺について教えられた記憶がないし、70年代の「論争」時は子どもだったからやはり記憶はないんだけど、正直に告白するとただの一冊も読む前から否定論はトンデモだろうと思ってましたよ。なんでかというと渡部昇一センセイが噛んでるから。もちろんこれは「偏見」です。しかしまず第一に、渡部昇一が専門外の分野についてはいい加減なことを書く学者だということについては別件でいろいろ読んでたし(その名残は「本館」のロッキード裁判関連エントリ)、第二に、子どものころに子ども向けに書かれた戦記をかなり読んでいて旧軍の人権感覚にかなり問題があることは知っていたから、「軍紀厳正な皇軍がそんなことするはずがない」式の否定論については「そんなはずあるか」とかなり自信をもって考えることができた。rnaさんがおっしゃるように、否定論の論法の一部はこまかな事実関係を知らなくても「こりゃおかしい」と判断できます。そういう怪しげな論法を含む主張を眉に唾つけて受けとめるのは健全な批判精神じゃないでしょうか? 第三に、これが現在の文脈では非常に重要なんだけど、その段階では「否定論はトンデモ」なんてことを決して人前で語ったりはしませんでした。南京事件について語る(書く)ようになったのは、「少なくともこれくらい読めば素人なりに発言してもいいだろう」と自分で思えるだけの準備をしてからだし、現在までにはおそらく「名無し」氏には想像もつかないであろう分量の文献を集めてますよ。


http://blogs.yahoo.co.jp/nozakitakehide/11893723.html
こちらについてはまた日を改めて。


http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20080104/p4
いちいち名指ししないが、私のエントリについたブクマコメントをみると(fromdusktildawn氏もまたそのようだが)、「土台」の部分を否定する人間はいない、南京大虐殺論争はある程度の規模の虐殺等が行なわれたという前提を共有して行なわれている…という認識を持っている人がいるようです。しかしそれは端的にいって事実に反します。現に「土台」を否定する人間がいる、否定する書籍が書店にならんでいる、「土台」の部分まで否定している国会議員がいる。だからこそ南京事件否定論を問題にする私のような人間がいるのです。
もちろん「知らなかった」こと自体を責めるわけにはいきません。人間、すべてのことに興味関心をもつわけにはいきませんから。しかしながら、南京事件否定論について明らかに事実に反するイメージを抱いていながら今回(ブクマコメントも含めて)発言した人々には、「さあ、事実を知ったあなたはどういうアクションをとるのですか?」と問いかけたいと思います。


http://d.hatena.ne.jp/yellowbell/20080104
yellowbellさんの事実/史実の区別については思うところもあるのですが、また日を改めて。
「孫の代が祖父の代のことを語る場合」には対象を切り離せないがゆえの困難があるというのはその通りでしょう。ただ、切り離せないがゆえに語らねばならないという側面もあります。というのも、同じ事情は中国側にもあるからです。南京事件の生存者がわずかとはいえまだ生存しており、現在の中国人はその子どもや孫の世代であるわけです。彼らにとって日本の南京事件否定論はどのようなものとして映るか? ということもまた考えておかねばならないことです。

■他にも、米国との史実の争いが少ないのは、米国に敗戦したことに日本が自覚的であり、中韓との史実の争いが多いのは、中韓に敗戦したことに日本が自覚的でないためではないかとも仮説を建てましたが、手に負えないので放棄します。

これは確かにあると思います。以前に言及したと思いますが、『丸』という雑誌の日中戦争に関する別冊特集は「不敗の戦場」というタイトルを付けられていました。


http://d.hatena.ne.jp/maroon_lance/20080104/1199427429

私みたいな陸軍バカは、岡村や阿南や松井があったて言ってんだからあったんだろうで終わりなんだけど。実際名のある軍人で否定してる人なんか見たことないし。

ごもっともなんですが、まずはそういう史料が残ってることを知らない人が多いわけで…。

差分というのが数の多寡を指すの?どうも中国的には殺し方の残虐さとかの方に求めてるっぽいんですけどね。まあ数も勿論大事ですがね。100人なら許容範囲内だとか主張する人も居るでしょうから。

「30万」という数字が日本側で大きく扱われてしまうことについては、中国側にももちろん責任はありますね。ただ、「なぜ南京大虐殺が問題なのか」を中国政府が「わかりやすく」日本に向けて語ったりはしていないけど、しかし中国政府にそんな責任があるわけでもない。南京事件が特筆される理由はいくつもあってどれを重視するかについては、もちろん中国人の間にだって認識の違いがあるでしょう。


http://d.hatena.ne.jp/maroon_lance/20080105/1199503970

南京に限った話ではないけど、こういう不祥事を否定したがる人々は、皇軍が完全無欠でないと愛せないのかな?愛が足りてない。

もちろん「皇軍」を「日本」に置き換えても通用する議論。福田和也も同じようなこと言ってるそうです。


http://d.hatena.ne.jp/nomore21/20080105/1199494383

しかも否定論者の大半はどのようにして南京事件の立証が行われてきたか、そういった経緯も全く知らないのだ(代表的論者である笠原氏や秦氏の著作を読んだと思しき人すらほとんどいない)。

私の「苛立ち」はまさにこういう事態に向けられているわけです。