『ニューズウィーク』日本版3月12日号

すでに青狐さんが書いておられますが、現在発売中の『ニューズウィーク』日本版が「南京のシンドラー」のタイトルで、ジョン・ラーベについての映画(監督:フローリアン・ガレンベルガー)をとりあげています。発売中の週刊誌ですので内容を詳しく紹介するのは避けますが、特集全体のトーンについて一言。
表紙には映画のスチルの下に次のような文句が踊っています。

ドイツ人監督の映画『ジョン・ラーベ』が
「虐殺」だけで語られてきた
南京事件に新たな光を当てるのか

また特集ページ冒頭には次のようなリード文が置かれています。

「中国のシンドラー」を主人公にした
ドイツ人監督の新作『ジョン・ラーベ』が
「虐殺」だけで語られてきた歴史の常識を覆す
(…)
日本軍に占領された南京で、中国人
を救うために奔走したナチス党員の
ドイツ人実業家を描く映画『ジョン・
ラーベ』。上官に抗議する若い日本兵
など、ステレオタイプな解釈を否
定した意欲作の撮影現場を独占取
材、見どころをいち早くリポートする。

こうしたとりあげ方をみていると、週刊誌のようなマス・メディアにおいては議論の「蓄積」が困難であることを改めて痛感しました。観ていないどころかまだ完成してもいない映画について論評するのはなんですが、記事をみる限りラーベの日記をはじめとする既知の資料から明らかになっている以上の、映画独自の視点が盛り込まれているわけではなさそうです(基本的には史実に忠実に脚本を書いたのだとすれば当然ですが)。南京に残留した欧米人の日記等が日本人について呪詛ばかりを書き留めているわけではなく、共感できる日本人にであった際にはその旨が記録されていることは従来も指摘されてきました。ラーベが熱心なナチス党員であったという皮肉な事実についても同様です。ラーベの日記は97年に独、日、中国語版が、98年に英訳が出版されており、すでに10年前に「南京のシンドラー」として*1ラーベは紹介されているわけです。もちろん、10年といえば当時の小学生が大学生になるだけの時間であり、10年前の報道を知らない、あるいは忘れている読者に向けてラーベの業績を紹介することには意味があるでしょう。しかし専門家や関心をもつアマチュアにとっては既知のことが、あたかも新事実であるかのように報道されることには、どうにも違和感が拭えません。笠原十九司氏や秦郁彦氏が今になって「ラーベの日記が歴史の常識を覆す」などと書いたりすればちょっとしたスキャンダルになるでしょう。とはいえ、ニュースバリューのためにはこうした知的な潔癖さにこだわらず、過去の議論の蓄積を無視して新奇な事実、解釈であるかのように書いた方がよいのかもしれない。現に『WiLL』なんかは使い古された論法を毎月毎月飽きもせずに掲載して、それが否定派の存在を支えているのに対して、『世界』や『論座』は昨年の70周年のような機会か、ほんとうに新資料が発見された時でもなければなかなか南京事件をとりあげようとはしません。しかしそうした手法を常套化してしまえば議論の蓄積が本当に意味をもたなくなってしまいかねないわけで…。

*1:この捉え方の当否についてはここでは触れません。