首相談話ほか

ソースは朝日新聞夕刊。
福田首相

 私たちは今日の平和と繁栄が、戦争によってかけがえのない命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、ひとときも忘れることはありません。

河野衆院議長。

 今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれたものであり、私たちは300万余の犠牲を決して忘れてはならないと思います。

なお天皇の発言では「今日のわが国の平和と繁栄」は「国民のたゆみない努力により(・・・)築かれた」もの、とされていました。

2008年08月15日 NOV1975 社会 愚行の犠牲にさらされたことをもって尊いとは言えそうだけど大して意図のない枕詞のようにも。政治的なニュアンスがあるかは真意を問いたださなければなんとも。
(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080815/p1)

え〜、起草者の意図の問題にしちゃうんですか? 「政治的なニュアンス」ってそんなもんじゃないでしょ?


それから、折角の機会なので。

2008年08月12日 rna 「敗戦」って言うと負けたのが悪いのであって勝てばよかった、的な含みを持ちそうで避けることはあるかなー。コメ欄にある「「戦争責任」ではなく「敗戦責任」」みたいな感覚かと思われたくない。
(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080811/p1)

たしかに「敗戦」という表現があたかも“問題なのはひとえに敗戦責任である”かのような認識につながってしまうのであれば、おっしゃることはわかります。ただ、日本の「あの戦争」に関して言えば負けるべくして負けた戦争だったし、それも単に「勝てればよかったんだけど軍事力の差で負けるべくして負けた」というだけでなく戦争目的自体に「負けるべくして負ける」ことがビルトインされてたと思うので、そういう意味ではやはり「敗戦」でいいんじゃないかと思うわけです。