さてこれは誰の発言でしょう?

青年たち、少年たち、婦人に至るまで英米を打倒することの美しさにあこがれていた。葦沢、清原の冷静な自由主義者が排斥される理由はそこにあった。事の正邪をわすれ正しい批判を忘れた国民の心の流れが、今では大きな勢いとなって進んでいた。かつて国民を煽動した軍部自身、もはや民心の流れを防ぎ止める力をもたなかった。

Nスペ「"熱狂”はこうして作られた」のなかで(例えば東條英機首相が自分に寄せられた投書について「東條は腰抜けだと言っているのだろう」と語ったというエピソードに続くナレーションとして)、あるいはその続編として民衆の戦争責任を問う番組がつくられたとしたらそこで使われたとしてもまったく違和感のない文章ですが、これは『生きている兵隊』を書いた石川達三毎日新聞にて1949年4月から連載した小説『風にそよぐ葦』(前篇)の一節を、『言論統制』(佐藤卓己中公新書)から孫引きしたものです(46-7ページ、原文のルビを省略)。軍部がメディアを介して煽った世論がやがて軍部を縛った……という見方が戦後間もなくからあったことがわかります。単に軍部なりメディアなり民衆なりの戦争責任をとりあげるだけでなく、それぞれの戦争責任が敗戦後どのように論じられてきたかという歴史も含めて認識することが重要なのでしょうが、これはテレビではなかなか難しい課題なのかもしれませんね。