『二・二六事件とその時代』


先日 bewaad さんから同じ著者の『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)を薦めていただいたわけですが、副題の「軍部大臣現役武官制の虚像と実像」や版元のうたい文句が示すように、同書は「廣田内閣の元で軍部大臣現役武官制が復活したことが軍部の暴走を許し戦争につながった」という通念に挑戦した、ということで話題になっているものです。現役武官制の復活は東京裁判でも廣田の責任の焦点の一つとして追及されましたし、なにしろ現役武官制が廃止されたのが第一次護憲運動当時の1913年(前年には陸相上原勇作が二個師団増設問題をめぐって単独辞職したため西園寺内閣が総辞職を迫られた)、復活したのが二・二六事件の直後というタイミングです。筒井氏同様、現役武官制が廃止されていた(予備役・後備役の中大将でもよくなった)期間においても実は陸海軍大臣はすべて現役の将官だったということを指摘している戸部良一氏も、宇垣内閣の流産について「復活した軍部大臣現役武官制は、早くもその効果を現したのである」と記述しています(『逆説の軍隊』、中央公論社、279ページ)。
 筒井氏の『二・二六事件とその時代』の方は手元にあるのでこの点につきどう記述しているのかを確かめようと引っ張りだしてきたわけですが、「昭和の軍事エリート」と題された第三章は初出が1983年、講談社学術文庫ちくま学芸文庫版の底本が収録されたのが1996年、2006年にちくまから刊行されるにあたってこの章に手直しを加えたとされています。133ページには復活した現役武官制について「陸軍が陸軍大臣を出さないといえば、陸軍の現役軍人しか陸軍大臣になれないのだから、その内閣を倒すことができるという重要な制度である(ただし万能ではない)」と、134ページには「結局、軍部大臣現役武官制のために宇垣一成陸軍大臣を得られず、宇垣内閣は流産に終わる」という記述があり、少なくとも83年の段階では筒井氏も通説通りの理解をしていたことが分かります(かっこ書きされた「(ただし万能ではない)」がひょっとしてちくま文庫収録の際の加筆?)。
なお『昭和十年代の陸軍と政治』については maroon_lance さんもご自身の関心に即してかなり詳しく紹介しておられます(現役武官制復活をめぐる議論についての評価はこのエントリに)。同書に関心のある方はこちらも是非ご覧ください。