『日本人はなぜ謝りつづけるのか』ほか
8月10日のMSN産経ニュース、「【土・日曜日に書く】ロンドン支局長・木村正人 日英兵士たちの和解事業」を pr3さんがとりあげて「とても産経新聞の支局長が書いたとは思えない良質な記事」(強調は原文)と評価しておられます。たしかに、日本軍による戦争犯罪のうち欧米諸国の捕虜への虐待については、欧米の植民地主義と相殺しようとしたり、敗戦後のBC級戦犯裁判(の欠陥)と相殺しようとしたりする議論や、「文化」の違いによるものとして免罪しようとする議論*1が、多くの日本人の共感を喚起しやすいのに対し、本記事はそうした共感に便乗して「イギリスが植民地支配を謝罪しないのにこちらが謝る必要はない」といった相殺論に与しておらず、この点は率直に評価すべきでしょう。ただ、中尾氏の新著によれば、事態はそれほど単純ではないようです。
現在、日本の外交官が「懸案事項が見当たらないほど良好」と表現する日英関係だが、英国ではつい最近まで、元戦争捕虜や家族に強烈な反日感情が残っていた。98年に天皇、皇后両陛下が訪英され、バッキンガム宮殿に向かわれていた歓迎式典の途中、沿道で元捕虜たちが両陛下の馬車列に背を向けてブーイングをしたり、日の丸を燃やしたりした。
衝撃的なこの写真は世界中に流れた。戦後50年以上がたっても旧日本軍への怒りと憎しみを募らせ、日本の国旗に火をつけた元捕虜ジャック・カプラン氏(故人)がその後、日本の大の理解者に転じたことはしかし、日本ではあまり知られていないかもしれない。
(http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080810/acd0808100334000-n1.htm)
2006年の石橋湛山賞を受賞した『戦後和解 日本は〈過去〉から解き放たれるのか』(小菅信子、中公新書)でも、カプラン氏の日本訪問が紹介されています(158ページ)。中尾氏も、訪日によりカプラン氏の態度が「親日的」になったことは事実である、と確認し、木村記者が言及している恵子・ホームズ氏や永瀬隆氏(元日本軍の通訳、小菅氏の著作では名前が挙げられている)の活動に一定の評価を与えています。しかしながら、はなしは「ジャック・カプランは親日的になった」で終りなのではない、と。刊行されたばかりの新書ですので今回は細部の紹介は避けますが、要点だけを述べれば「日本人に好意をもつようになったからといって、日本政府に公式な謝罪や補償を求めなくなったわけではない」とのことです。「公式な謝罪」とはなにか? これが本書のタイトル(献本を受けたらしい*2猫猫先生が本書に言及していますが、書名を微妙に間違えてます。『なぜ日本人は謝りつづけるのか』ではなく『日本人はなぜ謝りつづけるのか』)につながる論点となります。「何度謝れば気がすむのか?」「ちゃんと謝ったことはないじゃないか」というのは昨年の米下院慰安婦決議をめぐっても起きた、日本の戦争責任問題における定番の争点です。一方では旧連合国や旧植民地諸国の側も、他方では日本の側も意識や認識、利害が一枚岩ではない、ということが問題をより複雑にしていると言えるでしょう。この点で興味深いのは、現天皇夫妻の訪英を控えた1998年1月に『サン』紙に掲載された、当時の首相橋本龍太郎の「お詫び」の投書の効果についての評価が、本書と前記『戦後和解』で大きく分かれていることです。
今日、歴史問題が俎上にあがるたび回帰することになる村山談話を含めて、パフォーマンス性に乏しく後手にまわりがちだった一連の日本の謝罪と比べて、九八年の橋本謝罪は、英国政府から非公式に助言を得て、それまで悩みの種であった英国の大衆ジャーナリズムを逆利用し、直接、大衆に一定のインパクトを与えたという点で評価すべき点が少なくない。
(『戦後和解』、156ページ、原文のルビを省略)
インディペンデント紙が、「巨乳にしか興味のないような」新聞になぜ掲載したのかを疑問視したのも当然のことだった。しかも、一面の右半分には、"JAPAN SAYS SORRY TO THE SUN" という大きな見出しの下に橋下首相の顔写真が小さく配されているが、左半分には大胆な下着姿の女性の全身写真があり、彼女の左足が橋下首相の顔にひっかかるような意地悪い紙面構成となっている。
(『日本人はなぜ・・・』、70ページ)
補償や謝罪を願う捕虜や抑留者たちは、サン紙を好むような、低俗・非裕福層、金目当ての卑しい人間、下層階級として侮られた、と感じた。
(『日本人はなぜ・・・』、77ページ)
実はこの「お詫び」が掲載された紙面の写真は『戦後和解』の154ページに掲載されており、それをみるとなるほど(別のページの写真と重ねあわされているため全体は見えませんが)"JAPAN SAYS SORRY TO THE SUN" という見出しとほぼ同じ大きさで、ランジェリー姿の女性の写真が掲載されていることが分かります。有力な次期首相候補の一人がマンガ好きであることを公言しても政治的な瑕になるどころかむしろ人気を高める要因になる日本と違って、『サン』紙のシンボリックな位置づけという問題はイギリス社会がひきずっている階級という問題の反映であって、それ自体として日本に責任のあることではありませんが、しかし仮に北朝鮮政府が拉致問題についての謝罪を夕刊紙のいずれかに独占掲載させたとしたら、そうした夕刊紙の読者であっても「なぜ読売、朝日、日経じゃないんだ?」とは思うところでしょう。
橋本談話に対する英メディアの反応などについては、一般の読者もある程度の手間ひまをかければ自ら検証することが可能ですが、イギリスにいる元捕虜や元抑留者の受けとめ方についての両書の評価の違いを事実に照らして評価することは、一般の読者にとってかなりハードルが高い作業です。一人や二人にはなしを聞くことができたとして、彼らの見解が多数派を代表しているとは限らないわけですから。ぜひとも、専門家の間で再検証が行なわれることを期待したいと思います。
なお、著者の中尾氏は本書についての追加情報等を掲載したサイトをつくっておられます(POWOW.ASIA)。
同じく今月の新刊。先日放映された『証言記録 兵士たちの戦争』シリーズの一つでとりあげられたペリリュー島での戦い、および沖縄戦に参加したアメリカ海兵隊の元兵士が書いた従軍記です。
解説を保阪正康氏が書いており、「極めてレベルの高い記録」「内省的な作品」と好意的に評価しています。
こちらは先月出た本ですが、いっしょに購入したもの。
タイトルから想像できる通り、占領期に絞った昭和天皇論。著者自身によれば「占領下の政治外交過程における「天皇ファクター」の重要性を抉り出すという、それまでおよそ本格的な研究の対象とはなっていなかった「空白」の領域に挑戦」したもの、とのことです。
*1:「歩くのは文化」とかですね。他にも例の「ゴボウを食べさせたら木の根と・・・」というタイプのものもありますが、今回紹介した『日本人は・・・』の著者中尾氏については、この「ゴボウ」問題をとりあげた論文を当ブログでも紹介したことがあります。http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071227/p1
*2:献本じゃないそうです。ただし、14日午前の段階ではまだ間違ったタイトルのままです。