余波
西松建設の違法献金問題が意外な副産物をもたらしたようです。
毎日jp 2009年6月26日 「中国人強制連行訴訟:西松建設、元労働者側と協議開始 全面解決目指す」(魚拓)
戦時中に広島と新潟の建設現場に強制連行されて重労働を強いられたとして、中国人男性らが西松建設(東京都港区)に賠償を求めた訴訟の最高裁判決(07年4月)を踏まえ、西松が全面的な解決を目指し元労働者側と協議を始めたことが分かった。
(中略)
西松の顧問弁護士である高野康彦弁護士が取材に対し「原告以外を含めた全面的な解決を目指して協議を始めた」と明らかにした。西松側はこれまで「問題は全面的に解決した」との立場を取ってきたが、違法献金事件で経営陣が交代したことを契機として、企業責任を重視した対応に方針転換したという。
まずは新経営陣の英断に敬意を評したいと思います。旧麻生鉱業で使役されていた元捕虜の訴えに対する日本政府の対応にも影響があればいいのですが。
他方で、「和解」に関しては当事者(の一部)を置き去りにしてはなしが進められてしまった事例もあるだけに、今後の成り行きを見守る必要もあります。
「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」の最後の総会に藤崎駐米大使が出席したことが報じられていますが、これについて上記毎日新聞の連載は次のように分析しています。
タブーだった日米の歴史認識問題に激震が走ったのは07年7月。米下院がいわゆる従軍慰安婦問題で対日謝罪要求決議を採択。日本政府は阻止しようと動き、日本の保守派言論人や政治家も反発する騒ぎになり、両国のずれがあらわになった。
外務省の衝撃は大きかった。「一般の米国人には、戦後日本の平和主義が十分理解されていない。米国で日本に謝罪を求める声があれば、国としてできるかぎり応じるべきだ」(幹部)。68年目の謝罪は、地道な一歩だ。
(中略)
冷戦の要請で同盟強化を優先し、戦争責任問題は棚上げしてきたツケが、安保改定50年を迎える日米間に、今もわだかまる。
(後略)
(http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090622ddm001030043000c.html)(魚拓)
「戦後日本の平和主義が十分理解されていない」ことが原因なのかどうか疑問も残りますが、外務省が良好な日米関係に関心をもつこと自体は当然です。他方、アメリカでの報道では、大使の出席を好意的に評価するテニー会長や、いまや「同盟国」である日本からの「謝罪」など必要ないという元捕虜の声を紹介する一方で、藤崎大使の発言に満足していない元捕虜の声も伝えられていました。
But Fujisaki got an earful from others, like former POW Hershel C. Boushey, who told the ambassador that he did not accept "your apology,” and that the atrocities and mistreatment many suffered was severe.
Some were critical because they believed the apology seemed to come from him instead of from the Japanese government as a whole, and it never was to Americans directly.
“It was long overdue, but he probably was 11 or so himself when it all happened,” said Abel Ortega, 89, who's from San Antonio, but recently moved to Cibolo. “He didn't know much about the real feeling when it all happened. But (the apology) had to come sooner or later.”
POW survivor Tony Montoya, a native of Santa Fe, N.M., who now lives in Woodland, Calif., thought the speech seemed canned.
“I don't think it was sincere,” Montoya said. “This young man knows very little of the atrocities. They probably rehearsed him on it.”
アメリカ側にも受け止め方の多様性があるのは当然でしょうし、不満に理があるのかどうかは大使の発言内容やそれまでの経緯に照らして検証されるべきことです。してはならないのは、日米関係を優先するあまり受け止め方の多様性を無視して「和解はすんだ」と即断してしまうことでしょう。
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