産経は「シベリア抑留」という通称に何の疑問も持たないのだろうか?

産經新聞水準で評価しても、これは相当間抜けな記事の部類に入るのではないだろうか。

 ロシアで仕事をしていて許せないことの一つは、第二次大戦後にシベリアなど旧ソ連各地に強制抑留された日本人をロシア人の多くが「抑留者」でなく「捕虜」と称することだ。一流大学を出た若手の日本専門家なども例外ではない。

なにが気に入らないのか、まったくわかりません。日本軍が内輪向けに「降伏しても捕虜じゃないからね」と強弁したという事実はありますが。戦時国際法が「捕虜」に保障した権利など降伏した日本軍将兵にはなかった、と強弁したいのでしょうか?

 そもそもソ連の「対日戦争」自体が不当な一方的侵略だったのだから、「捕虜」の用語は全く不適切だ。強制抑留は、武装解除後の日本将兵を速やかに帰還させるとしたポツダム宣言に明白に違反する行為でもあった。

「一方的侵略」だったら「捕虜」という用語が不適切だというのもまるで意味不明なのですが……。ひょっとして、南京大虐殺を念頭において、「日中戦争は日本の一方的な侵略だったのだから、「捕虜」の用語は全く不適切だ→ゆえに捕虜は存在しない→すべて殺してかまわない」と言いたいのでしょうか? しかしそうだとすると、ソ連に「抑留」されたものも皆殺しにされてかまわない、ということになってしまいます。
「抑留」にはもともと「おさえとどめること。強制的にとどめおくこと」(広辞苑)といった意味しかありません。「極寒の地で食事もろくに与えず過酷な労働を強いる」なんて意味はないのです。また、「抑留」それ自体には不当・不法という含意もありません。旧ソ連が捕虜をただ単に速やかに帰国させなかっただけであったとすれば――それはそれで人道に反する措置ではありますが――捕虜の被害もずっとマシなものとなっていたでしょう。その意味で、元々「シベリア抑留」という通称自体が被害の深刻さをストレートには反映していないのであって、「捕虜」か「抑留者」かなどといったことはどうでもよいことだというしかありません。「犠牲者」と呼ばずに「捕虜」とか「抑留者」と呼ぶのはけしからん、ということであれば理解できるはなしなんですけどね。

 「少なくとも関東軍の大半はソ連と全く交戦しておらず、『捕虜』は完全な誤りだ」。政府古文書委員会の副委員長も務めたプロコペンコ氏(78)はこう語り、「ロシア人は何十年にもわたるプロパガンダ(政治宣伝)からいまだに抜け出せていない」と断じる。
 だが、残念ながら、こうした良識派はまだまだ少ない。微力だろうが、今後も「捕虜」の用語を聞いたら逐一、徹底的に反論して訂正を求めていく所存だ。(遠藤良介)

「捕虜」の要件には「交戦」したことが含まれてましたっけ?
それから、産經新聞はこういうロシア人を「良識派」なんて評価しちゃダメでしょ! 自虐ですよ自虐! ロシアには自虐史観の持ち主がまだまだ少なくてうらやましい、と書かなきゃ!