「カチンの森の虐殺」から70年

 【モスクワ=貞広貴志】第2次世界大戦中の1940年にソ連の秘密警察が捕虜のポーランド軍将校ら約2万2000人を虐殺した「カチンの森事件」から70年を迎え、追悼集会が7日、ロシア西部スモレンスク郊外で行われた。集会には、プーチン露首相とポーランドのトゥスク首相が初めてそろって出席、慰霊碑の前でひざまずき、緊張が続いた両国関係の歴史的和解に一歩をしるした。

強調は引用者。

 【モスクワ大木俊治】第二次大戦中にポーランドの軍人ら2万人以上が旧ソ連で虐殺された「カチンの森事件」から70年に合わせた犠牲者追悼式が7日、現場であるロシア西部スモレンスク州の追悼施設で開かれた。ロシア主催の式典にはプーチン首相とポーランドのトゥスク首相が出席、両国間で政治対立の一因になってきた事件の「和解」を演出した。

同じく強調は引用者。

 式典でプーチン首相は「スターリンの名のもとに行われた弾圧は正当化することなどできない」とした上で「だが、ロシア民族すべてにこの責任を負わせることも間違っている」と語った。ロシアでは二日、事件をテーマにしたポーランドアンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」がテレビ放映されており、融和への演出とも受け止められている。
(中略)
カチンの森事件> 旧ソ連の秘密警察、内務人民委員部が1940年、ポーランド軍将校ら捕虜約2万2000人を銃殺、ロシア西部スモレンスク郊外の森に埋めた事件。ナチス・ドイツ軍が43年に遺体を見つけ発覚。ソ連ナチスの犯行と主張したが、冷戦終了後、独裁者スターリンの指示だったことを示す署名入り記録などを公開した

またしても強調は引用者。
どの記事も一致して、ロシア側にポーランドの対露感情を好転させたい事情があることを指摘している。なるほど、そうした事情でもなければなかなか国家が自らの犯罪を率直に認めることはない、というのは現実ではあろう。しかし日本政府が自らの発意でこれまで行なってきたことがなんであったかを考えると、「ロシア以下じゃん」と言わざるをえないのが情けない。