第2次大戦中、中国大陸から大阪港に強制連行され、過酷な荷役労働を強いられた常保貴さん(85)=河南省原陽県=が21日、大阪市港区の天保山公園内の追悼記念碑前で開かれた式典に参列した。64年ぶりに来日した常さんは「二度と苦しみを繰り返さないで」と話した。
外務省作成の報告書によると、戦時中、大阪港では1千人余りの中国人が強制労働させられ、86人が病や空襲などで死亡した。同公園周辺には当時、中国人労働者が働かされた港湾施設や収容所が数多くあり、11年前から市民団体が追悼会を毎年開いている。
(中略)
敗戦3カ月後に帰国したが、賃金は受け取れなかった。過酷な労働のために腰が曲がり、戦後も後遺症に悩まされた常さんは「古里の土を踏めなかった仲間たちを思えば、まだ幸せだ。今の日本人にうらみはないが、政府から謝罪と賠償がない限り心が晴れない」と話した。
この記事では記念碑が今年、もしくは11年前にできたようにミスリードされてしまうおそれがあると思うのですが、記念碑ができたのは05年のことだそうです。
- 神戸新聞NEWS 2008年06月13日 「強制連行の歴史刻む「神戸港平和の碑」除幕 7月」(魚拓)
大阪市港区の天保山公園には、強制連行され、大阪で命を落とした中国人八十六人を追悼する「日中友好の碑」が〇五年に建てられた。
建立した「大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会」は、追悼会を毎年開催。強制連行された生存者や遺族ら約二百五十人に手紙で報告している。感謝を記した返事もあるが、「強制連行された中国人は日本の侵略の犠牲者だ。碑文ではそのことが明確になっていない」と厳しく批判する文章もある。
事務局の桜井秀一さん(59)は「日本の侵略でもたらされた強制連行という実態が(碑の用地を所有する)大阪市との交渉の中で十分に表記できなかった」と前置き。「碑を建てて終わりでなく、犠牲者が大勢いたことを広く知らせていくことが必要だ」と強調する。
碑文の文面については機会があれば確認してみたいと思います。朝日の記事では「追悼記念碑」とされていますが、神戸新聞によれば碑の名称は「日中友好の碑」とのことで、遠回しor曖昧な表現になっているのだろうな、と予想させますが。