旧海軍からみたガ島攻防戦

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090926/p1#c
ここ↑でいただいたコメントに触発されて。ガダルカナル島への米軍の上陸が「寝耳に水」だったという旧陸軍の主張(服部卓四郎の『大東亜戦争全史』など)に対し、海軍側がその辺りをどう認識していたのかが気になり、『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<3> ―昭和十八年二月まで―』をあたってみた。ガダルカナル島での飛行場建設の経緯については、それがSN作戦(航空基地強化作戦)の一環として行われたことも含めて記述があるが、陸軍への連絡については特に記載がないようである(通読したわけではなく関連する記述がありそうな箇所の拾い読みなので見落としの可能性もあるが)。ガ島に飛行場を建設しつつあることを陸軍が十分承知していたとしても、あの時期における米軍の積極的な反攻そのものを予期していたなかったのだから、「寝耳に水」となったことに変わりはないのではあろう。
他方、ガ島を含む南太平洋作戦についての陸海軍の認識のずれについては次のようにされている。

 海軍側の意見は、南太平洋を決戦とみて、必戦必勝のため要すれば全力を使い果たす必要がある、というのであった。そして軍令部は〔昭和十七年十一月〕十四日、方針に「南太平洋における敵戦力の破摧」を明示するよう提案した。それは、福留繁軍令部第一部長の強い要望でもあった。
 陸軍側は、陸海軍作戦の本質的差異を説き、現在の段階における決戦思想の危険性を指摘した。
 獨伊と提携してまず英を屈服することを戦争指導上の主眼と信ずる田中〔義一・陸軍部〕第一部長は、南太平洋決戦を過度に強調すると、太平洋正面が戦争指導の重点にすり変わり、本末転倒になる虞があるという理由から「南太平洋における敵戦力の破摧」を明示することは避けたい意向であった。
 これは、現に日本の本格的決戦が起きようとしている南太平洋に重点を指向しようとする海軍に対し、依然、北東及び米ソ提携による北方の脅威に対する警戒、中國、印度方面など、他の正面にも目を向けなければならないとする陸軍が、敵反抗の重点を単的〔ママ〕に南太平洋と明示し、作戦的施策の重点をこれに集中しようとする海軍の意見に疑問を持っていたことがうかがわれる。
 「大本營機密戦争日誌」の十一月五日の部には、「海軍は物動決定を前にして、物資取得を有利にするため、南太平洋の敵反攻を過大視する態度に出ている」旨の記事がある。
 このようなことは、主として戦争指導の大局的判断に起因しているのであるが、一面、米国の戦力に対する陸軍の認識不足によるものである。
 日露戦争後三十数年、米国を想定敵国の第一と考え、鋭意対米作戦を目標としていた海軍と、対ソ戦を第一とし近々昭和十五年ころから、やっと対米戦争と取組み始めた陸軍、更に言えば、南太平洋の作戦を海軍作戦の支援と考えていた陸軍とでは、その認識において、一朝一夕には縮めることのできない較差があったのである。
(388〜389ページ、原文の注番号とルビを省略)