憂うべきマスコミでの「反日」パラノイア拡大

「女性の権利」という普遍的な理念に訴えかける活動に「対抗するつもり」の言葉が「反日」という普遍的な訴求力の欠片もないシロモノだ、という点に現在の日本の保守・右派の矮小さがはっきりと現れていますね。この調子で声高に語れば語るほど日本の対外的なイメージは傷ついていくわけですが、彼らは一体どうやって責任をとるつもりなんでしょうか。

 「性奴隷」「20万人以上」という誇張歪曲した表現だけでも、日本の名誉を著しく傷つける。

当時の日本においても、公娼制が事実上の奴隷制度だという認識はそれなりに(都道府県の過半数公娼制が廃止されるか、廃娼決議が通過する程度には)影響力をもっていたのであり、そうした認識に基づけば旧日本軍「慰安所」制度は公式に採用された性奴隷制であるというよりほか、ありません。「20万人」については、「じゃあ、20万じゃないことを証拠立てる公文書を出してみろ」と言いたいですね。そもそも「追悼の文脈」と「歴史記述の文脈」、また「法的責任追及の文脈」は(ある程度重なりつつも)別物ですから、追悼を目的とした碑文に犠牲者数推定のうちの最大値が採用されたとして、なにが問題だというのでしょう? 広島の「原爆死没者名簿」には昨年8月6日の時点で28万人を超える人々の名前が記載されていますが、読売新聞はこれを「14万人」に減らせと主張するのでしょうか?

 そもそもいわゆる従軍慰安婦問題が日韓間の外交問題に浮上したのは、92年のことだ。朝日新聞が「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」と報じたのが発端だった。
(中略)
 記事には、戦時勤労動員の「女子挺身隊」があたかも慰安婦の強制連行であったかのような表現もあり、韓国で反発が強まった。
(原文のルビを省略)

記事本文にはそんな表現はありません。「用語解説」の中にそれに類する表現があるだけです(こちらを参照)。また同様な「表現」なら1987年8月14日の読売新聞にも見ることができます。だいいち、「女子挺身隊」の名目で「慰安婦」が連行されたという理解はもともと韓国側にも成立していたものですから、朝日の記事と「韓国で反発が強まった」こととの間に因果関係があるとするのは意味不明です。むしろ、それまで日本政府が嘘をついてしらを切り続けていたことに対する「反発」にこそ言及すべきなのではないでしょうか?

 この河野談話が誤解の火種となった。慰安婦は強制連行であったと日本政府が認めたかのように、韓国などは受け止めた。

慰安婦は強制連行であった」という表現の稚拙さには目を瞑るとして、河野談話は実際に「強制連行」によるケースがあったことを認めていますので、「誤解」でもなんでもありません。他方、この問題について国際世論をリードする立場にあるような人々であれば、「すべての慰安婦が強制連行されたわけではない」こと、河野談話もまたそんなことを主張してはいないこと、をきちんと認識しています。例えば右派が攻撃してやまないクマラスワミ報告書にもマクドゥーガル報告書にも、「すべての慰安婦が、軍官憲により直接、暴力的な手段で拉致された」などといったことは書かれていません。よって、この点でも「誤解」などないのです。
ことほどさように出鱈目な社説を書いている読売新聞が、では河野談話が出た当時にはどのような報道をしていたのか。次エントリでご紹介しましょう。