家畜を飼わなくても捕虜は管理できます

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20110215/1297760957
『アーロン収容所』を読んだのはずいぶん前のことなので、そんな一節があったことなんてすっかり忘れてたよ。いま読み直してみればより面白いかな、と思って探してみたけど見当たらない。ということは父がもってたのを読んだのかな? 既にブコメで書いておいたことだが、この手の似非文明論にはきっちり反論しておくべきだと思うので、改めて。
牧畜の経験云々は七平メソッドのネタの一つだという時点ですでに眉につばすべきであるわけだが、日露戦争で日本軍が捕虜にしたロシア人が86,663人(そのうち79,454人を国内で収容)、第一次世界大戦時に捕虜にしたドイツ人が4,484人(国内で4,697人を収容、なお他にオーストリア人捕虜などがいる)で、それだけの数の捕虜をきちんと管理し処遇できたという歴史的な事実によってたちどころに反駁される(数字は内海愛子著、『日本軍の捕虜政策』による)。第一次大戦時の捕虜は日露戦争時よりずっと少ないが、動員された日本軍将兵の数も日露戦争時よりずっと少ないので、捕虜/日本軍将兵の比でいえばそう違わない。
現代に目を向けても、刑務所では刑務官が自分たちより遥かに数の多い受刑者をきっちり「管理」している。別に牧畜経験者から刑務官を採用しているわけでもないのに。
第一、武装解除した捕虜を管理する能力を本質的に欠いた人間なんて、近代的な軍隊では使い物にならんでしょ。要は軍上層部の意思と教育の問題ですよ。アジア・太平洋戦争期の日本軍が行った捕虜虐待の第一の原因は「捕虜を国際法に則って処遇しない」という意思決定にあるのであって、「家畜」云々は(著者の意図はともかくとして、結果としては)「ゴボウ」伝説同様、戦争犯罪を「不運な巡り合わせ」に矮小化しようとする目くらましです。