『ゆきゆきて、神軍』(追記あり)

奥崎謙三宅が取り壊されたから…というわけでもないだろうが、『ゆきゆきて神軍』(監督:原一男、1987年、日本)のDVDが再発売された。
この映画が最初に話題になった当時にももちろんニューギニア戦線の悲惨さについて一通りのことは知っていたし、例えば人肉食の発生などについてもはなしに聞いてはいたけれども、いま改めて観直すと奥崎がこだわっていたのが決して孤立した事件でないことがよく分かる。Wikipediaの「奥崎謙三」の項に次のようにあるのはまちがい。

映画の撮影の中で奥崎は、戦中に起こった銃殺事件の真相を追うが(…)

正しくは、敗戦後23日経ってから「敵前逃亡」の罪で軍法会議抜きに2人の兵士が射殺された事件の責任を問おうとしたのである。すなわち、当ブログでもとりあげた花園一郎、『軍法会議』が証言していたのと同じ問題である。敗戦後も日本軍将校が軍の秩序をかさに着て法的根拠の疑わしい軍法会議を開設し兵士を処刑していたこと、またオーストラリア軍もそれを黙認ないし協力していたことについては田中利幸の『知られざる戦争犯罪』でも明らかにされている。花園一郎氏は第17軍隷下の第6師団に所属しブーゲンビル島にいたわけだが、奥崎謙三が所属していた独立工兵第36連隊は(なにぶん工兵連隊のことなので資料が少なく確信は持てないがおそらく)第18軍の隷下でニューギニアにいた(ただし奥崎自身は敗戦に先立って捕虜になっていた)。1944年後半からは第17軍は第8方面軍の、第18軍は南方軍の隷下にあって指揮系統は異なるから、特定個人の資質に帰すことのできない、日本軍の体質をあらわす事件だと考えるべきであろう。
Wikipediaの『ゆきゆきて、神軍』についての項の結びの一文は、この映画が受容された文脈の表現としてはかなり的確であろうかと思われる。

この映画の中で奥崎はカメラを意識した役者を演じ、演技の要素がかなり含まれているという見方も強く、並外れた極度の自己顕示欲がその根底にあり、精神病理的にはパラノイアの典型といえ、症例の見本としての興味も尽きない[要出典] 。しかしドキュメンタリーとしてのこの映画の持つ衝撃は並大抵のものではない。

なんといっても奥崎謙三という“キャラ”の特異性が注目を集めたのであり、また自身戦争中に上官を殴ったと語っていたのが事実とすれば、この特異性は入営前からの彼の資質によるところが少なくないだろう*1。しかし立ちまくる“キャラ”のおかげで、指揮官の責任を問う彼の行動は相当程度無害化されてしまった感はなきにしもあらず。彼に問いつめられる元将校、元下士官の発言を聞いていると「あなたにはあなたの、私には私の考えが…」という相対主義が20年前の撮影当時すでに、戦争責任について口を閉ざす口実に使われていることがわかる。沈黙を正当化するもう一つの理由が戦友や遺族への配慮なのであるが、語ることによって自分が傷つくのがいやだからだ、という理由は口にされることがない。このことが逆に、他者への配慮を口実としていても実のところ自分が戦争の記憶に直面することを避けているだけではないか、という印象を与えるのである。
それでも自身ニューギニアにいた奥崎に対しては、戦中派が戦後派に向ける定番の台詞「あんたたちにはわからない」が使えない、「若者ってバーカだな」と片付けられずにいるのは興味深い。「若者ってバーカだな」などと言うくらいなら、自分たちの世代から100人、1000人の奥崎を出していればよかったのだ。


追記:はてブコメントより。

「「若者ってバーカだな」などと言うくらいなら、自分たちの世代から100人、1000人の奥崎を出していればよかったのだ」それですむなら、大岡昇平ティム・オブライエンも、小説を書かなかったのではないだろうか

「それですむなら」ってのはどういう意味なんでしょうか? 「100人、1000人の奥崎」は現われず*2、一人の大岡昇平は小説を書いたというのが現実であるわけですから、「それですむ」かどうかは仮定に基づく問題ということになります。「100人、1000人の奥崎」が現われるというのはそれほど容易で、かつそんなに軽いことですかね? もちろん、仮に「100人、1000人の奥崎」が現われてもなお一人の大岡昇平が小説を書いたということは十分あり得ることで、しかしそれは奥崎には奥崎の、大岡には大岡の“問うべき問題”があった、ということなんじゃないでしょうか。

*1:将兵がもっとも悲惨な体験をした最後の一年間、彼はオーストラリア軍の捕虜であった。米軍の捕虜になった場合と比較すると待遇は悪かったのではないかと思われるが、それでも捕虜にならなかった将兵ほどの目には遭っていないだろう。なお、この映画で描かれている彼の行動の背景には自らが捕虜として生き延びたということがあるのではないかと思われるのだが、そのあたりはまったく追及されていない。映画のつくり手からみればあまりにコントロール不能な主役なので無理もないかもしれないが

*2:もちろんここでの「100人、1000人の奥崎」というのは言葉の綾であって、元日本軍将兵の中には自分なりの問題意識から戦争責任−−天皇の、大本営の、政治指導者の、自分の上官の、あるいは自分自身の−−を追及し続けた人々ももちろんいます。「100人、1000人の奥崎」云々は、そうした動きが戦後の日本社会ではあくまで傍流にとどまったことを言わんとしているわけです。