「政府は文書公開し解明図れ」
昨日9月3日の朝日新聞(大阪本社)オピニオン欄に「アジア人捕虜 政府は文書公開し解明図れ」と題して内海愛子氏が寄稿しています。
(前略)
日本軍の捕虜になった連合国軍兵士は約30万人とされる。この中にはフィリピン、インドなど連合国の植民地出身の兵士が多くいた。1942年夏に日本軍が作成した統計によると「白人捕虜」12万539人、「アジア人捕虜」16万2226人と、半数以上がアジア人兵士である。
(中略)
アジア人捕虜はどのように扱われたのか。日本はジュネーヴ条約など戦時国際法を独自に解釈し、捕虜として扱う兵士を白人捕虜に限った。植民地出身のアジア人は国際法上の捕虜ではなく、日本軍が自由に使える「労務者」という扱いだった。
(中略)
これら「アジア人捕虜」の実態、犠牲者数は明らかではない。戦後、ジュネーヴ条約に違反して酷使されたと、インド人捕虜が日本兵を訴えた事件がある。日本兵は、捕虜ではなく労務者だったと主張したが、豪州のラバウル軍事法廷は死刑の判決を下した。戦時国際法を無視してインド人を捕虜と認めなかった上、虐待したことによって、BC級戦犯裁判で刑死者を出したのである。
米国人元捕虜の招待は、忘れ去られていた「アジア人捕虜」の存在を改めて問いかけている。アジア人を含めた捕虜問題の解明のために、厚労省や関係省庁に「俘虜月報」など関係文書の公開を求めたい。
情報公開は新政権が重点を置いている(と約束している)ことの一つですが、大戦中の公文書については特に世論の強い関心があるというわけでも(残念ながら)ないでしょうから、どの程度迅速かつ積極的に取り組むのか、期待しつつも心配ではあります。