元捕虜のオーストラリア人、来日

今日(3月5日)の朝日新聞(大阪本社)朝刊は、日本軍の捕虜となり大阪の造船所で働かされていた元オーストラリア軍兵士ジャック・シモンズさんが、66年ぶりに来阪して工場を訪問したことを伝えています。シモンズさんの来日と関連した報道がネットにもありました。

 太平洋戦争末期の1944年から約1年間、山形県酒田市の酒田港で強制労働に従事させられたオーストラリアの元戦争捕虜、ローリー・リチャーズさん(94)が4日、同市内の収容所跡地を52年ぶりに訪れた。収容所生活を陰で支えた日本人の遺族とも対面し、親交を深めた。
 外務省の「日本人とPOW(戦争捕虜)の友好プログラム」事業の一環。家族5人で酒田を訪れたリチャーズさんは、東京捕虜収容所第2派遣所(後の仙台捕虜収容所第9分所)があった酒田市本町3丁目の温泉施設に到着し、駐車場内を当時を思い起こすように歩いて回った。

前原外務大臣は、太平洋戦争中に日本軍の捕虜となったオーストラリアの元兵士5人と面会し、「多大な損害と苦痛を与えたことに、改めて深い反省と心からのおわびを申し上げます」と述べ、初めて公式に謝罪しました。
前原外務大臣と面会したのは、太平洋戦争中にシンガポールインドネシアなどで日本軍の捕虜となったオーストラリアの元兵士5人とその家族です。この中で前原外務大臣は「わが国がオーストラリア人の元戦争捕虜を含む多くの人々に対し、多大の損害と苦痛を与えたことに、改めて深い反省と心からのおわびを申し上げます」と謝罪しました。戦争捕虜を巡っては、アメリカの元兵士に対し、去年9月、当時の岡田外務大臣が初めて公式に謝罪をしていますが、オーストラリアの元兵士に対する謝罪は、今回が初めてです。また、前原外務大臣は、戦争捕虜の個人記録を記したと「銘々票」と呼ばれる資料の写しなどを5人に手渡したうえで、オーストラリア人のほかの元捕虜に対しても、資料の写しを引き渡す準備を始めたいという考えを伝えました。これに対し、日本政府の公式な謝罪を求めてきた元兵士のチャールズ・リチャーズさんは「今回の謝罪は、歴史的な出来事だ。銘々票の返還は、元捕虜にとってだけではなく、家族にとっても重要なことだ」と述べました。

この二つの記事にシモンズさんの名前はありませんが、朝日の記事の結びに次のようにあることから、シモンズさんも「日本人とPOWの友好プログラム」事業で来日されたものと推測できます。

 「同じ苦しみを繰り返さないために体験を語り残す責任がある」。シモンズさんは、来日中のほかの元捕虜4人とともに、6日午後3時から京都市上京区の京都社会福祉会館で講演する。問い合わせは「POW(戦争捕虜)研究会」(0771・24・6191)。


NHKの記事にあるリチャーズさんのコメントに「家族にとっても重要なこと」とあります。これは日本軍の捕虜になった経験をもつ元連合軍将兵への聞き取りを行っている研究者の方から伺ったはなしですが、元捕虜のトラウマ的な体験が戦後の生活に大きく影響し、それゆえ配偶者や子どもにもネガティヴな影響を与えているケースがあるそうです。その意味で、「当事者」は決して元捕虜たちだけではないと言うことができるでしょう。