「硫黄島で託された写真」
土曜日になんの気なくテレビをつけていたら、TBSの「報道特集NEXT」で「硫黄島で託された写真」なるレポートが流れていた。あわててレコーダーを起動して録画に成功。硫黄島で捕虜の訊問官だったアメリカ人が日本兵捕虜から一枚の写真(自分と妻、姪が写ったもの)を託される。尋問官と兵士はフランス語で話しあううちに信頼関係をつくりあげ、没収を予想した兵士が「あなたに託したい」といって渡したものだという。写真を本人に返したいという亡き父の遺志を次いだ息子とそれに協力する日本人が無事遺族を捜し出し、写真が返却されるまでを追跡。
この種のエピソードは新聞でも時おり報じられている。「戦争を語り継ごうブログ」さんの「戦争遺留品」カテゴリーにも多くの事例が紹介されている。こうした遺留品の中には米軍将兵が“土産物”として持ち帰ったものが少なくないわけだが(今回紹介されたケースは異なる)、何十年を経て遺族のもとに還したいと思うようになった経過というのも「戦争体験の受容」の問題として興味深い。手垢のついた表現ではあるが、それは遺留品の背後に「人間」を見いだせるようになるプロセスである、と言えるのではないだろうか。