「自殺多発…自衛隊の闇」ほか

29日放送の「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズ、「沖縄 終わりなき持久戦の結末 〜陸軍第24師団〜」。同師団からは南方へ派遣する部隊を組織するために一部が抽出されており、それを現地召集者で埋めたため、北海道(旭川歩兵第89連隊、同連隊から抽出された第3大隊はサイパンに派遣されたので、もちろん全滅)出身の兵士と沖縄出身の兵士とが混在していた。紹介された証言によると、沖縄出身の初年兵に対して、沖縄出身である以上「郷里を守る義務がある」と称して繰り返し切り込み攻撃への参加を命じた中隊長がいたとのこと。好意的に解釈するならば沖縄を「本土決戦のための捨て石」ではなく防衛すべき対象と考えた現場の指揮官がいたということになるのかもしれないが、以前からの部下よりも新しく現地招集された兵士の命を軽く見たというのが真相に近いのではないだろうか。また、部隊の撤退に際して殺されるはずだったのに衛生兵が静脈を外したため生き残ったという負傷兵や、負傷兵を殺害するために注射を打った従軍看護婦も証言している。以前に「証言記録 従軍看護婦が見た戦争」というタイトルで元従軍看護婦の証言を集めた番組が放映されたことはあるが、「兵士たちの戦争」シリーズに女性の証言者が登場した例は(あったかもしれないが、直ちには)思い出せない。部隊の撤退に伴い、「捕虜にさせないため」に傷病兵を殺害したことについては数多くの証言があるが、考えてみればそれぞれの事例について「敵ではなく味方を殺した」経験をもつ軍医、従軍看護婦、衛生兵が存在しているわけだ。そうした人々のうち戦争を生き延びた人たちがその経験をどう考えてきたのか? というのもこれまであまり光を当てられてこなかった問題であるように思われる。

  • 1月30日(日) 24:50(31日0時50分)〜 NNNドキュメント'11 「自殺多発…自衛隊の闇 沈黙を破った遺族の闘い」

2004年、海上自衛隊横須賀基地に勤務する隊員(21)が電車に飛び込み自殺。「お前だけは絶対に呪い殺してやる」ホームに残された遺書には、先輩隊員への告発が、怨みの文字と共に綴られていた。翌年、航空自衛隊浜松基地の隊員(29)は、生まれたばかりの子供を遺して自殺。彼は10年間、上官から執拗で理不尽な命令を受け続けていたという。両事件とも遺族は「いじめが自殺の原因」として提訴。しかし、自衛隊はこれを認めていない…。今、自衛隊員の自殺が相次いでいる。1995年に49人だった自殺者は2005年には過去最多の101人に増加。(09年度は86人)約5年に及ぶ海上自衛隊員の裁判は2011年1月26日に判決が下る。自衛隊という巨大な国家組織に立ち向かう遺族たちの闘いを追った。
(http://www.ntv.co.jp/document/)

番組では自衛隊員の自殺率が一般の国家公務員の1.5倍であることが指摘され、「自衛隊という組織の問題」という視点が強調されていた*1。海自のケースでは先輩隊員は護衛艦「たちかぜ」での勤務歴が長く、「階級の上下関係とは別にいわゆる「主」的な存在」であった(自衛隊の内部調査より)とされ、上官は彼の暴力について「見て見ぬ振り」をしていた、とされている。これなどは旧軍について言われる「星の数よりメンコの数」を想起させるが、それを直ちに日本的な現象と考えるのは短絡だろう。遺族が「自衛隊という組織」を問題にするのは当然であるし、また「自衛隊という組織」に固有の問題が存在するのか否かはきちんと調査されねばならないことだが、同時に日本に限らず軍隊という組織の特殊性に由来する問題としても、また自衛隊に限らず日本社会の問題としても、いわゆる複眼的に考えねばならない問題ではないか、とも思う。この数年、何度も殺人事件の認知件数が戦後最低を更新しているが、これは他の社会であれば「恨みによる殺人」に至っていたかもしれない状況が自殺によって“解決”されているからではないのか? と疑う余地があろう。

番組放映の数日前に下った判決ではいじめと自殺の因果関係、上官、国の責任などが認められた一方、「「先輩隊員や上官に男性の自殺は予見できなかった」として、死亡への賠償は認めず、男性が生前に受けた精神的苦痛への慰謝料の支払いを命じるにとどめた」。番組は、自殺した男性の母親が控訴の決意を固めたことを紹介して終わっている。

*1:女性よりも男性の自殺率が高く、かつ自衛隊は圧倒的に男性の多い組織であることを考えれば自衛隊員の自殺率はとりたてて高くない、という反論も存在しているようだ。しかしそれを言うならば自衛隊員は(定義上)失業しておらず、また年齢的にも国民全体より若いといったファクターも考慮に入れねばならない。