「初めて人を殺す」

 大島軍曹は即座に上官の「鶴の一声」に従い、
 「では、列の最後尾にいる者から順番に刺突することにする。最後尾にいる者は前へ出ろ」
 と怒鳴った。しかし、誰も前に出る者はいない。私たちの間にざわめきが起こった。列にビリにいるのは馬場二等兵にきまっている。その馬場はすっかり臆してしまって前へ出ないのだ。
 「最後尾にいるのは馬場二等兵だな。馬場、前へ出んか!」
 大島軍曹がまた怒鳴った。しかし、馬場は返事もしなければ前へもでない。たまりかねた亀岡兵長が馬場二等兵のもとへ飛んで行って、
 「馬場二等兵、貴様、班長殿がおっしゃっていることが聞こえんのか」
 と、馬場二等兵の胸ぐらをつかんで、前へ引きずり出した。
 「さあ、銃剣を構えるんだ。そして標的めがけて突進するんだ。なにも恐れることはない」
 亀岡兵長はいちいち馬場二等兵の手をとって、どうにか銃剣を構えさせた。
 「突っ込め!」
 兵長は馬場の肩を力一杯押した。だが馬場は二、三歩前へよろめき出ただけである。
 「貴様、なぜ、突っ込まんのか!」
 兵長はさらに馬場の肩を押した。だが馬場は再びよろよろと二、三歩前へ出ただけで、
 「かんにんしとくなあれ」
 と泣き声で言った。
 「なんだ、かんにんしとくなあれとは、なんだ。このボッサリめ。上官の命令をなんと心得ているんだ」
 兵長は馬場の横面に続け様に往復ビンタをくらわした。だが、馬場は頑として動かない。
 私たちは固唾を呑んでその有様を見守った。いつもなら馬場がなにかへまをすると、同年兵から一斉に笑い声が起こるのだが、この時ばかりは誰も笑わない。
 今度は大島軍曹が馬場の前へ飛んで行った。そしていきなり馬場の胸倉をつかむと、
 「貴様、内務班長の俺に恥をかかす気か。さあ、銃剣を構えろ。そして突っ込むんだ!」
 と馬場をけしかけた。しかし馬場は
 「かんにんしとくなあれ」
 を繰り返すばかりで、動こうとしなかった。
 「このボッサリめ!」
 大島軍曹はいきりたって、拳固で馬場二等兵をなぐりつけた。馬場は鼻血を出してぶっ倒れた。それを見ていた青木少尉は、
 「大島軍曹、もういい。その馬場二等兵はあとで処分することにする。こうなったら、もう整列の順序などどうでもよろしい。われと思わん者から先に突かせろ」
 といらいらした口調で怒鳴った。それを受けた大島軍曹は、
 「よし、率先して名乗り出た者から、刺突をおこなうことにする。希望者は手をあげて名前を言うんだ」
 と私たちの隊列を睨みつけて言った。しかし、誰も手をあげる者がいない。きまずい沈黙の時間が、一分、二分、三分と流れた。

これは大阪出身で日中戦争に従軍した経験をもつ詩人、井上俊夫のエッセイ「初めて人を殺す」の一節である*1。突然の非常呼集をかけられた兵士たちが「刺突訓練」と称して立ち木に縛りつけられた中国人を殺害するよう指示される。最初に指名されたのは、集合するのがもっとも遅かった馬場二等兵だった。「ボッサリ」というのは『大阪ことば事典』(牧村史陽編、講談社学術文庫)にも載っていないが、中学生の頃に同級生が使っているのを聞いたことがあるので、確かに大阪近辺で使われていた言葉だと思われる。語義を説明するのは難しいのだが、集合に遅れるような(他の箇所では「いまだに三八式歩兵銃の分解掃除がまともにできない」などとも言われている)要領の悪さを侮蔑的に表現する語だ。
昨年12月に放映されたNHKの「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズ2本のうち、「占領地の治安戦 〜独立混成第4旅団〜」には井上のエッセイと非常によく似た証言が登場する。刺突訓練をさせられたという証言者は2人だが、そのうち入隊して3日目にやらされたと証言する元兵士は、“嫌な者は手を挙げろ”と言われて手を挙げた一兵士が散々に殴られたこと、それを見ていた他の兵士は当然ながら“嫌だ”とは言えなくなったことを語っていた。

*1:『初めて人を殺す 老日本兵戦争論』、岩波現代文庫、275-277ページ。