『「南京事件」日本人48人の証言』

反論を無視する人、その2。伊藤純子氏の「南京大虐殺は「なかった」」

一方で、この「大虐殺説」に疑問を抱く人たちも存在しています。例えば、阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』(小学館文庫、2001年)は、その疑念を晴らすために、当時南京にいた日本軍人、外交官、ジャーナリストから直接証言をまとめて書かれた本です。この本を入手していないので、詳細は語れませんが、ジャーナリストの櫻井よしこ女史の曰く、「関係者の体験談を集めた第一級の資料」と評しています。

というわけで、櫻井よしこお墨付きの『「南京事件」日本人48人の証言』から引用してみましょう。軍司令部嘱託、軍司令官付きとして松井石根大将に随行した岡田尚氏の証言。

――蘇州にはいつまでいましたか。
「二日くらい蘇州にいて、いよいよ南京が陥落だというので、私は管理部の村上(宗治)中佐と湯水鎮まで進みました。湯水鎮に行く途中のことですが、日本兵がクリークの土手で捕虜を刺殺してました」
――何日のことですか。
十二日だと思います。午後一時頃でした。千人から二千人位の中国兵が空地に座らされて、中には女の兵士もいました。何人かを土手に並べて刺殺していましたが、それを見て残虐だと思っていると、村上中佐が車から降りて、指揮官の中尉か少尉にそのことを言いました。すると、戦の最中だし、これしか方法がないと言われましてね。そう言われるとわれわれもなにも言えません。
(後略)
(194ページ)

岡田氏は全員が殺害されるのを見届けたわけではないが、「指揮官の中尉か少尉」の気が途中で変わったと考える理由はない。「当時の価値観」に照らしても「残虐」なことが行なわれていたわけである。
もうひとつ。海軍従軍絵画通信員だった、住谷盤根氏の証言。

(…)
そのうち一人の中尉が試し斬りをすると、軍刀をもっていこうとするので私もついていきました。行くと、埠頭の突端に鉄の柵があり、そこから先はコンクリートで護岸されてまして、ここに四、五人ずつ並べて後から銃剣で付いてコンクリートに落としていました。日本兵は二十人ほどで、中国兵が千人弱いました。それを見ていた中尉は、試し斬りをする気も失せてしまいました。私が懐中電灯をつけて見ていましたら、兵隊から、そこにいると返り血を浴びると言われましたので、それをしおに帰りました。
翌朝、早く起きていってみると、コンクリートの上は死屍累々で、数えてみると八百人ほどの死体がありました。(後略)
(275-276ページ)


『「南京事件」日本人48人の証言』を読まずに、従ってこうした証言も収録されていることを知らずに、この本を引き合いに出している人ってのはけっこう多いんじゃないだろうか。もちろん、そうした人々に都合のいい証言もたくさんあるのだが、本書について秦郁彦はこう評している。

(…)
その精力的な東奔西走ぶりには敬服するが、「数千人の生存者がいると思われる」兵士たちの証言は「すべてを集めることは不可能だし、その一部だけにすると恣意的になりがちだ。そのため残念ながらそれらは最初からカットした」という釈明には仰天した。
 筆者の経験では、将校は概して口が固く、報道、外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの情況を語ったり、日記やメモを提供するのは、応召の兵士が大多数である。その兵士も郷土の戦友会組織に属し口止め指令が行きわたっている場合は、言いよどむ傾向があった。
(…)
 その結果、阿羅の本は「虐殺というようなことはなかったと思います」、「見たことはない。聞いたこともなかった」「聞いたことがないので答えようもない」式の証言ばかりがずらりと並ぶ奇観を呈している。ここまで徹底すると、クロを証言する人は避け、シロを主張する人だけをまわって、「全体としてシロ」と結論づける戦術がまる見えで喜劇じみてくる。
(『昭和史の謎を追う』、文春文庫、上巻、181-182頁)


もう1点、伊藤氏の主張から。

(…)成年に達した後も、ジャーナリストの本多勝一『中国の旅』(朝日新聞社1972年)や、笠原十九司南京事件』(岩波新書、1997年)、アイリス・チャン『ザ・レイプ・オブ・南京』(ペンギン・ブックス、1997年)などが「南京大虐殺」は「史実」であるとして、日本は全世界から極悪非道な民族である、とされていました。ここまではみなさんも周知のとおりと思われます。

強調引用者。いやだから、それって否定派の妄想ですから。例えば南京事件を理由として戦後日本人の入国を拒否したとか、日本製品のボイコットをした国とか、あります? アイリス・チャンですらこう書いています。

南京における蛮行と、日本人のよく知られた飛び抜けた礼儀ただしさ、マナーの良さとを両立させることに、多くの人が困難を覚える。
(p.54)

急いでるのでいい訳じゃありませんが。また、このあと「サムライ」云々を持ち出して日本人の礼節と蛮行とが絡みあっている…というトホホな主張が紹介されたりしてますが、南京事件の存在にもかかわらず、日本人は礼儀正しいというのが一般的な認識であるわけです。