『旅順と南京』

  • 一ノ瀬俊也、『旅順と南京 日中五十年戦争の起源』、文春新書


コメント欄でご教示いただいたので書店に出かけて購入・読了。基本的には面白い本ではあります。目玉は著者が発掘した、日清戦争当時の第2軍所属のある軍夫の挿絵入り日記の紹介。日清戦争において日本軍が兵站を「半天股引」姿の軍夫たちに依存していたことは先行研究で明らかにされていたが、その軍夫の視点からのまとまった従軍記が発掘され紹介されることの意義はきわめて大きい。著者は同じ第2軍第1師団の兵士(上等兵)の日記との対比を軸に、公刊戦史などと照合しつつ一軍夫と一兵士が見た戦場を記述してゆく。


とはいえ、やはり表題は(副題との相乗効果で)ミスリーディングという感を免れない。「南京」が表題にあるのは、旅順虐殺事件と南京大虐殺との比較考察が第2章で行なわれているからである。その問題意識が「とってつけたよう」であるとは思わないし、重要でないとももちろん思わないし、旅順虐殺事件については師団長命令への言及を発見するといった成果もある。しかし表題に「南京」の2文字を入れるには南京大虐殺との比較考察は簡潔にすぎるし、「日中五十年戦争」という表現を用いその末期に発生した南京事件を主題の一つとするなら「〜の起源」という副題は適切とは言えない。買うまでは、日清戦争当時の南京でのエピソードが扱われてるのかと思いましたよ。


興味深く読んだ、ということを断ったうえで言えば、北村稔の議論の扱い方があまりに安易。最近ではすっかりフォースの暗黒面にとらわれていることを知ってのことかどうかわからないが、すでにネット上で市井の研究者によっても欠陥を指摘されている、北村の「ティンパーリー=国民党の顧問」説を鵜呑みにしている(112-113ページ)のはちと問題だ。欧米ジャーナリストによる報道を「国民党のプロパガンダ」という観点から(のみ)解釈しようとする人々は、ジャーナリストというものは「戦争」という格好のネタにであったとしても誰かにそそのかされなければ記事を書かない、とでも思ってるんだろうか?*1
もう一点、やたらに解釈を読者に委ねることを強調するのも如何なものか。これだけくどいと責任逃れに思えてくる。「あとがき」には「とはいえ、正直なところ、こういう本を本当に文春新書として出していいのか、と思わないでもなかった」などといった文言まである。なんなんだよ、その気の使い方は? 無名のフリーライターが頼まれ仕事をやるときに、依頼主の政治的ポジションを気にするというならまだわかるが、アカポスもってる研究者がそんなこと気にしてどうするの? 文春新書が断ったなら断ったで他に書くルートをもってる立場でしょうが。


追記:本書を読んだひとにしか分からない話だが…。127-128ページで紹介されている資料のうち「但人夫は使用し得るものとす」という箇所について「使用し得ざる」の誤記の可能性という解釈が示されているが、“従来兵站部において行なってきた戦死者の埋葬を今後は所属部隊にて行なうこと、ただし埋葬にあたって兵站部の人夫を使役してよい”って意味だ、という可能性はないんだろうか? ま、素人の思いつきですが。
もう一つ、旅順虐殺事件と南京事件の比較について。著者は旅順事件の「実態を見れば」、「明治の頃はよかったのに昭和になると日本人の道義が低下した」というような議論には「あまり意味がない」と指摘している。これはこれでもっともなところのある指摘だとは思うが、現場の指揮官はともかく軍中央の姿勢(本書で記述されているような)をみる限り、日中戦争時よりは国際法をまもろうとする意思がはっきりと見てとれるようにも思う。たとえそれが「体面」のためだったとしても。
大本営で「国際法を守れ」と指示するのは簡単だが現場にしてみればいろいろと困難がある…というのはそれこそどの国の軍隊も(そして時代を超えて)抱える問題だろうが、といって現場の要求ばかり聴いていたら戦時国際法なんてなし崩しになってしまうのは必定、とすれば軍中央がどういう意思を示すか、というのは結構重要な問題だと思うのだが。

*1:もちろん、日中双方がプロパガンダ合戦をやったのは当然である。近代戦争なんだから。ここで言っているのは、日中戦争勃発まもなくの南京大虐殺が国民党の意を受けた欧米ジャーナリストにより報道されたと考えるより、南京大虐殺が欧米メディアにより報道されたのをみた国民党が対外プロパガンダに利用することを考えた…と解釈する方がはるかに無理がないだろう、ということ。詳しくは『現代歴史学南京事件』所収の井上久士論文を参照。