『戦争犯罪の構造』
この別館でも何度か著作、論文をとりあげてきた田中利幸編の『戦争犯罪の構造―日本軍はなぜ民間人を殺したのか』(大月書店)。目次は次の通り。
序 文 田中利幸
第一章 日清戦争における日本軍の住民への加害 大谷 正
第二章 抗日義兵闘争と膺懲的討伐 愼 蒼宇
第三章 アムール州イヴァノフカ村の「過激派大討伐」(一九一九年) 原 暉之
第四章 南京大虐殺事件 笠原十九司
第五章 中国雲南省にみる日本軍の住民虐殺(一九四二年~一九四四年) 伊香俊哉
第六章 シンガポール華僑虐殺 林 博史
第七章 抑留者虐殺とその責任問題 田中利幸
第八章 占領地民衆に対する大本営の認識(一九三一年~一九四二年) 山田 朗
結 論 偽りの近代からくる不安を克服するために 野田正彰
ご覧のように、非常に有名な事例(第四章)、ある程度知られている事例(第一章の旅順事件、第六章)、あまり知られていない事例(第二章、第三章)、さらにはほとんど知られていないと思われる事例(第五章、第七章)までがとりあげられている。第七章でとりあげられているのは、日本軍占領地域で抑留されたオーストラリア人民間人、および同盟国人であるはずのドイツ人(宣教師たち)が海軍将兵によって殺害されたという事件(ただし、戦犯裁判ではオーストラリア人の殺害だけが訴追された)。第五章はいわゆる援蒋ルートのうちビルマルートを遮断するために雲南省に侵攻した日本軍が、主として漢族住民を殺害したというもの。日本側の資料が一人の元兵士の回想録しかないものの、細菌戦や軍医による生体解剖・実験が行なわれた可能性も指摘されている。華北戦線で広く行なわれたことが知られている「敵性部落」の焼き討ちは雲南省でも行なわれていただけでなく、第二章や第三章でも多くの事例が紹介されており、日中戦争時にはじめて登場した作戦ではないこと、むしろ住民を敵とする戦争に一般的な(それゆえ日本軍に限られない)ふるまいであることがわかる。また、南京事件の一つの要因として前線指揮官が古参兵を統制できなかったことがしばしば指摘されるが、同じことはすでにシベリア出兵時に起こっていた。村の焼き討ちを行なった部隊の将校と兵士のやりとりとして、次のようなものが引用されている(仮名遣いを改めた。94ページ)。
将「家を焼くことは厳禁されているのだが」
兵「この位のことをやらんと暖りません」
兵士が将校の注意を平然と無視するのも無理はない。これまた南京事件と同様、軍中央と出先軍との間に大きな認識の違いが存在していたからである。参謀本部は第12師団の「極端に走らんと」する傾向を危惧し注意を促したのだが、師団側は「容赦なく」村を焼く方針をもって掃討作戦を行なったとされている。
なお、第三章で資料として用いられている『シベリア出征日記』については、以前に掃討作戦についての記述を長文で引用しておいたのでご参照いただきたい。
「序文」では田中利幸が、自身の著書『知られざる戦争犯罪 日本軍はオーストラリア人に何をしたか』でも表明している問題意識、すなわち日本軍の戦争犯罪を「特殊性」と「普遍性」の二つの相で捉える「複眼的な分析方法」の重要性が指摘されている。本書がそうした「複眼的」な考察の素材を提供していることは間違いないのだが、複数の著者により独立に書かれた論考を編集したものという制約もあって、「複眼的」な考察に欠かせない比較考察(他の軍隊の戦争犯罪との比較、異なる時期、異なる地域での日本軍の戦争犯罪館の比較)という点では読者に委ねられる部分が大きいと言える(最後に、執筆者による座談などを行なって収録してみても有意義だったと思うのだが)。