自分が殺した男の娘に会った米帰還兵

アメリカの軍事史家デーヴ・グロスマンは人間が他の人間を殺すことに対して持つ抵抗感、特に近距離で殺すことへの抵抗感の強さを例証するものとして、次のようなケースを紹介している。

(……)アメリカ軍の中隊指揮官ウィリス大尉は、部隊を率いてベトナムの川床を歩いていたとき、だしぬけに北ベトナムの一兵士と遭遇した。

ウィリスは兵士に並び、M16で相手の胸を狙った。五フィートと離れていなかった。兵士のAK47もまっすぐウィリスに向けられている。
大尉は激しく首をふった。
北ベトナム軍の兵士も同じように激しく首をふった。
休戦協定、停戦命令、紳士協定、それとも取引か……兵士はそろそろとあとじさって闇に消えてゆき、ウィリスはそのまま進み続けた。

(『戦争における「人殺し」の心理学、ちくま学芸文庫、210ページ)

もちろん、すべての兵士が殺人を選択せずにすむわけではない。

(……)あるベトナム帰還兵は、若い北ベトナム軍兵士を殺したとき、その財布から一枚の写真を抜き取ってきた。それには、その兵士自身といっしょにかわいい少女が写っていた。二〇年後、古ぼけてぼろぼろになったその写真に彼はメモを書いて添え、ワシントンDCのベトナム戦没者記念碑の足もとに供えている。

 二二年間、私はこの写真を財布に入れて持ち歩いてきた。ベトナムのチュライのあの道であなたに出会ったとき、私はまだ一八歳だった。なぜあなたが私の命を奪わなかったのか、それがわかる日は来ないだろう。あなたは長いこと私をじっと見つめていた。AK47でこちらに狙いをつけていながら、ついに発砲しなかった。そんなあなたの命を奪った私を赦してほしい。ベトコンを殺せと訓練されてきて、その訓練のとおりに身体が動いてしまったのだ……この年月、私は何度この写真を取り出したか知れない。あなたとあなたのお嬢さんの顔を見るたびに、苦しみと罪悪感で胸もはらわたも焼かれるようだった。いまは私にも娘がふたりいる……あなたは祖国を守ろうと戦う勇敢な戦士だったのだと、いまなら私にもわかる。だがなによりも、あなたが奪うことをためらった生命の尊さを、いまの私は尊重できるようになった。たぶんだからこそ、今日ここに来ることができたのだろう……目を前に向け、苦しみと罪悪感を解き放つべき時が来たのだ。どうか私を赦してください。

(デーヴ・グロスマン&ローレン・W・クリステンセン、『「戦争」の心理学』、二見書房、12-13ページ)

昨日(7月5日)テレビ朝日系列で放映された『トリハダ(秘)スクープ映像100科ジテン』が“目玉”にしていたエピソードはこの2例目と実によく似た事例だった。やはり18歳の米兵だったルットレル氏はある日ジャングルで敵と遭遇し、彼を殺すことをためらうヴェトナム軍兵士を殺してしまう(彼にとって最初の殺人)。死んだ兵士が身につけていたのは娘と思われる少女と2人で写った写真だった。20年以上ずっと持ち続けていたその写真をルットレル氏もまたヴェトナム戦没者記念碑に供えるのだが、彼はそれだけでは満足することができず、ヴェトナムの新聞に写真と尋ね人の記事を掲載してもらう。偶然の助けもあってルットレル氏は33年後に写真を娘に返すことができた……。
「敵」を殺してしまったことへ罪悪感というのは一般性をもつ現象であるし、太平洋戦争に従軍した米兵が土産物として持ち帰った遺品を遺族に返還した(しようとしている)というエピソードは日本でも時折報道されているのだが、この手の番組では“レアなエピソード”であることに価値を見いだすのであって、ルットレル氏の苦しみの一般性にはまったく触れられていなかった。