『複合戦争と総力戦の断層』

『カブラの冬』に続いて読んだ「レクチャー 第一次世界大戦を考える」の一冊。本書を特徴づけているのは日本にとっての第一次世界大戦が「複合戦争」であるという視点。

日本にとっての第一次世界大戦とは、対独戦争、シベリア戦争という戦火を交えた二つの戦争と、日英間、日中間、日米間の三つの外交戦からなる複合戦争として存在していたと捉え直すべき[では]ないか、というのが本書で提起したい視点である。
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 以上のように、第一次世界大戦を複合戦争として捉えることが可能であるとするなら、その期間は一九一四年八月の対独戦争参戦からシベリア戦争時に占領した北樺太からの撤退を終えた一九二五年五月まで、断続的であったとはいえ一〇年九ヶ月にもおよび、大正時代十五年の大半は第一次世界大戦期であったといえることになる。
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そして今年開戦70年を迎える太平洋戦争も中国問題をめぐる日米間交渉の行き詰まりが大きな原因であったことを思うなら、第4章「日本外交戦と日中関係の転形」、第5章「日米外交戦と東アジアの政治力学」における著者の目論見は近代日本を考えるうえで示唆に富んでいるのではないだろうか*1。となると、この第4・5章だけでも本「レクチャー」シリーズの一冊足り得たのでは? という疑問も浮かぶし、表題のうち「〜と総力戦の断層」という部分についてはほぼ「おわりに」で触れられているだけ。もっとも「あとがき」ではそのあたりの事情についても率直に自認されており、今後の研究成果に期待すべきなのかもしれない。

*1:例えば昭和戦前期を「鬼胎」として切断しようとする企てに対して、など。他にも山東半島上陸作戦において「輸送用の車両や馬、人員」ならびに「水や食料」まで「現地」で、すなわち中立国である中国において「現地調達する」計画を立てた補給軽視の姿勢(74-75ページ)や、「中央の外交や軍事的決定を無視して現地軍が独断専行する」前例がすでに当時できていたこと(76ページ)なども参照。