『空爆の歴史』


6月に刊行された『空の戦争史』と主題において少なからず重なるが、もちろん企画としては独立したものなのだろう。岩波書店のサイトから目次を引用する。

 はじめに


第一章
20世紀の開幕と空爆の登場―幻惑された植民地主義  
1 「文明」と「未開」の距離―空爆への過大な期待
2 空からの統治―ターゲットにされる住民
3 国際法の「例外」―植民地と空からの毒ガス戦


第二章
ファシズムの時代」と空爆―無差別爆撃を許す「文明世界」
1 「人道的な帝国」の非道とゲルニカ実験
2 中国民衆の「抗戦意思」への攻撃


第三章
総力戦の主役は空戦―骨抜きにされた軍事目標主義  
1 空爆に賭けられた戦争のゆくえ
2 勝利のカギとしてのドイツ都市破壊
3 戦争の終結と勝利を急ぐ戦意爆撃


第四章
大量焼夷攻撃と原爆投下―「都市と人間を焼き尽くせ」  
1 東京大空襲は、いつ決定されたか 
2 都市焼夷攻撃とアメリカの責任
3 原爆はなぜ投下されたか


第五章
民族の抵抗と空戦テクノロジー―「脱植民地化」時代の空爆  
1 抹殺される空爆の記憶 
2 朝鮮戦争と核戦争の誘惑 
3 ベトナム戦争―多様化する空戦テクノロジー


第六章
対テロ戦争」の影―世界の現実と空爆の規制  
1 無差別爆撃への沈黙と規制への歩み
2 記憶の再生と慰霊の政治学
3 隠蔽され続ける一般住民の犠牲


 あとがき
 参考文献
 事項索引/人名索引

『空の戦争史』が第二次大戦以前の歴史に最初の3章をあてていたのに対し、本書では第1章のみが同じ時期をカヴァーしている。本書では枢軸国側の行なった空爆について第2章で扱っている(『空の戦争史』では日本軍の行なった空爆を詳説している箇所はない)一方で、日本に対する連合国(実質的には米軍)の空爆についての記述は本書の方がはるかに長い。また、朝鮮戦争からイラク戦争までの、第二次世界大戦後の歴史に2章を割いているのも本書の特徴*1。「空爆の思想」と植民地主義との関連を指摘するなど共通点も(ほぼ同じ時期の、同じ問題を主題としているのだから当然のこととして)あるが、例えば第21爆撃機集団の司令官が45年1月にハンセル准将からルメイ少将へと交替になった件につき、『空の戦争史』は通説に沿った記述になっているが、本書では精密爆撃と地域爆撃は当初から「入れ替え可能な併存関係」であったとし、ルメイの責任を誇張することが「空爆の思想自体に含まれる大量殺戮の肯定」につながるおそれがある、としているなど、解釈の異なる点もある。前述した重点の置き方の相違もあわせ、『空の戦争史』をすでに読まれた方にとっても併読する価値はあるだろう。

*1:朝鮮戦争時、北朝鮮が常に核攻撃の脅威を感じていたことが、「今日の核問題をめぐる北朝鮮の態度にも投影」されている、という指摘(190-191ページ)は、北朝鮮の振る舞いとその論理を正確に理解して朝鮮半島の非核化を成功させるうえで、考慮に値するものではないかと思われる。