「偵察写真が語る第二次世界大戦 ペリリュー」

CATVの「ヒストリーチャンネル・ジャパン」で放送中のシリーズ「偵察写真が語る第二次世界大戦」のうちの一話、「ペリリュー」を見る(他のエピソードも主だったものは録画しているが)。先日言及した吉川弘文館の「戦争の日本史」シリーズ第23巻、『アジア・太平洋戦争』には次のような一節がある。

現在、硫黄島の戦闘はあたかも日本軍のテルモピュライの如くに伝説化され、栗林は英雄視されることが多い。確かにその戦い振りは水際立ったものだが、「硫黄島」を過大に評価すれば戦史の理解を誤ることになろう。彼の採用した持久作戦は決して彼一人の独創になるものではなく、硫黄島が唯一の例というわけでもない。先にも述べたように、制空権・制海権を失い、きわめて劣勢な兵力しかない情況で、日本近海の島々の防衛戦にやむなく採用された時間稼ぎのための戦法である。そして、同様の戦術が悲惨な結果を招いたのが沖縄の戦闘であった。
(269ページ)

「水際」決戦を否定して長期抗戦を実現した栗林の指揮を「水際立った」と表現するのはちと妙な気がするがそれは余談として、ここで言われている先例にあたるのがパラオ諸島のひとつペリリューをめぐる攻防戦。

この戦術〔水際で総攻撃するのではなくゲリラ戦で抵抗する戦術〕は九月からのペリリュー島での戦闘で採用され、洞窟にこもって戦った日本軍は米軍にかなりの損害を与えた。
(同書、268ページ)

日本側の主力は第14師団の歩兵第2連隊、アメリカ側の主力は第1海兵師団。番組によれば日本軍は「水際」でもかなりの攻撃をしかけているようだが、安易なバンザイ・アタックを避けたのは硫黄島と共通している(そのため、最後の兵士が投降したのは47年になってからのことだった)。「米軍にかなりの損害を与えた」とされているが、戦死者に限れば日本側は約1万人で総兵力の大半が死亡しているのに対し、アメリカ側は戦死者1,684人で総兵力の5%にも満たない(太平洋戦争研究会編、『太平洋戦争主要戦闘事典』、PHP文庫、による)。「戦死傷者」で比べればほぼ同数なのだが、日本側の場合戦傷を負って生き延びた(捕虜になった)ケースがほとんどないのである。普通に戦争をしていれば米軍のように戦死者の数倍の戦傷者がいるのがあたりまえだから、日本軍の戦い方の異様さがよく分かる。