「ダブルスタンダード」の破綻
いま現在河野談話をめぐって日本で起こっているのは、保守政権下で出され・その後の(一時期を除いて)保守政権下でも「踏襲」することが明言されてきた官房長官談話が保守系野党によって一斉攻撃され、保守派の内閣からも公然と同調する閣僚が現れている……という、はっきり言って異様な事態である。これが例えば1993年の細川談話への攻撃であれば、賛否はともかくとして筋道はすっきりしている。当時自民党は野党だったし、文言の面でもそれ以前・以後の首相談話よりは踏み込んだものになっているのだから。しかし保守派が河野談話を攻撃するというのであれば、当然「ではいままでずっと踏襲してきたのはなんだったのだ?」と問われることになる。
このような事態は、戦争責任問題に関する保守派の「ダブルスタンダード」(吉田裕)の矛盾がいよいよ取り繕いようのない地点に到達していることを意味している、と考えるべきであろう。
吉田裕(『日本人の戦争観』)が1950年代に成立したとしている「ダブルスタンダード」とは、「対外的には講和条約の第一一条で東京裁判の判決を受諾するという形で必要最小限度の戦争責任を認める」一方、「国内においては戦争責任の問題を事実上、否定する、あるいは不問に付す」というものである(岩波現代文庫版、91ページ)。「講和条約」を「河野談話」に置き換えれば、「慰安婦」問題に関しても同じ構図が成立していることが分かるだろう。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html)
河野談話で表明されたこの「固い決意」はその後きちんと維持され続けただろうか? 答えはもちろん「ノー」だ。河野談話から約20年、その間「慰安婦」制度の学術的な研究にも新たな進展があり、また「慰安婦」問題の理解にも深化があったにもかかわらず、日本政府はそれを国民に(ここではあえて「国民」という語を用いる)積極的に知らせるための努力などしてこなかった。96年頃から勢いを増してゆく右派による歴史教科書攻撃に対しても、よく言って傍観者的な態度をとったに過ぎない。河野談話への攻撃に対して、その後の研究の進展をふまえて反論するでもなく、ただただ「踏襲する」と表明してきたに過ぎない。閣僚である松原仁が明確に「見直し」論に加担したことは、対内的には河野談話を攻撃されるままにしておき、対外的には空疎な「踏襲」表明でやり過ごすというこの手法の欺瞞をもはや取り繕うことすら止めた、ということを意味している。しかしもちろん、日本の保守派には河野談話の撤回を国際社会に向かって正当化するロジックの持ち合わせなどない(「日本軍が虐待したのは売女どもですから」が通用すると思っている阿呆だらけ)。一体この責任をどう取るつもりなのだろうか。