追記

昨日のエントリ(『陰謀史観』)に mujin さん(ツイッターでは yunishio さん)からいただいたブコメです。

mujin 歴史修正主義, 陰謀論, 秦郁彦
このエントリでは秦氏慰安婦問題の関わりかたを氏の女性観に帰しているように思えるけど、しばしば一般向けの書籍で「お花畑サヨクが〜」とも書くのでそれだけに限られるものではなさそう。 2013/02/19
(http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Apeman/20130219/p1)

これに関して、ツイッターでちょこっとやりとりをさせていただきました。

付け加えるなら、橋下徹大阪市長の言動も二人と近いパターンです。「慰安婦」問題では完全に右派と同調していましたが、河村・名古屋市長の発言にはのりませんでしたし、靖国参拝にも消極的(「反対」まではいかない)、日本の戦争の「侵略」性についても「周辺諸国に過去、迷惑をかけたことは間違いない」という、いかにもありがちな表現ではありますが、いちおう認めています(昨年9月27日の会見)。
もちろん私は、mujin さんの指摘されるようなファクターが働いていない、と言いたいのではありません。例えば橋下市長が南京事件否定論に載らなかったのは減税日本との連携に否定的だったからに過ぎないかもしれません。逆に「ピースおおさか」の件では右派の期待通りに振る舞っている、と。こうした視角を欠いてしまうと、ありもしない隠れた論理を無益に探しまわることになりかねない、というのは確かでしょう。
しかしそれだけでは説明しきれない「過剰さ」がここで挙げた3人に見られることも確かではないでしょうか。例えば上記の会見で「迷惑をかけたことは間違いない」と発言したあと、彼は自らの弁護士経験を引き合いに出して「加害者サイドがね、謝り続けたんだからもう謝るのいいじゃないか〔と主張する〕、そんな加害者見たことない」「被害者サイドから見れば、ずーっと腹の中に恨みつらみは残りますよ、それは」と、なかなか興味深い発言をしています。「興味深い」というのは、右派の刑事犯罪に対する厳罰志向と戦争責任に対する態度とを「ダブスタ」とみる左派がしばしば用いる論法を、自身の経験に即して用いているからです。この発言や「尖閣」についての発言などが、右派メディアでも橋下維新への不信感がくすぶっている大きな理由になっているわけで、「戦争責任はある、しかし謝罪はすんだ」よりもわざわざ踏み込んだ発言をしたことで政治的には損をしているわけです。
したがって、「使いわけ」論と相互排除的な理解としてではなく、レイヤーの異なる理解として、「この3人に共通するのはなにか?」を問うことに意味はあるだろう、というのが私の仮説(というか仮説が必要だろう、という予感)です。