中山成彬議員はだれをどう「思いやって」慰安婦問題に口を閉ざすのか

4月19日付けエントリのコメント欄で話題になっている、教育再生特別委員会での中山成彬の発言。「ほとんどは日本人」という主張が事実に反するうえに、慰安婦問題を「国家による人権侵害」ではなく「外交問題」としてしか認識していないことを示している(ほとんどが日本人だったら問題ないのか?)ことなど追求すべき点は多いが、ここでは次の部分をとりあげたい。とむ丸さんのテキスト起こしを利用させていただいた。なお、慰安婦の報酬を単純に額面だけで判断することの愚については、scopedogさんが丁寧な考察をしておられるので、遅ればせながらご紹介させていただきます。

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日本の国民のみなさん方はあんまりお知りになっていないかもしれないけれど、まさにそれが、今採択されるかもしれない、という話になっているわけで、とんでもないことだと、私はこのように思うわけですけれど、まあ、そもそも、この慰安婦の問題、私たちはあまり口にしない。なんていうんでしょう、そういう気持があるでしょう、お互い思いやって。
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さて、ここでいう「私たち」というのはいったい誰のことなのだろうか? 慰安婦問題について積極的には語らない人々、および「慰安婦問題なんてない」というかたちで積極的に語る人々、だろうか? それともいまだに声をあげられずにいる元慰安婦たちも含むのだろうか? そしてそうした人々は一体なにを「お互い思いやって」いるのだろうか? 「思いやって」と言うからにはなにか思いやらねばならない事情があるはずなのだが、一体それは誰のどのような事情なのか? このまったく意味不明な没論理はいったいなになんだろう…。