ノモンハン事件(ハルハ河戦争)、モンゴルで見直し

3月19日の朝日新聞(大阪本社)国際面に「モンゴル・満州国境のノモンハン事件70年 民族二分 残るしこり」と題する記事が掲載されている。昨日18日の時事通信は8月にモンゴルで70周年記念行事が行なわれること、モンゴルがロシアのメドベージェフ大統領の出席を招請したことを伝えたうえで、プーチン首相の「ロシアとモンゴルはハルヒン・ゴル川事件(ノモンハン事件のロシア側名称)の勝利という歴史の英雄的な1ページの記憶を持っている」という発言を引用している(魚拓)。しかし朝日の記事は次のように指摘している。

 モンゴル民族にとって、あの戦いは何だったのか。
 ソ連一辺倒の冷戦化で定着した「ソ連と協力して日本のモンゴル侵略を打ち破った戦争」という歴史観は薄れ、「ソ連と日本との戦いに利用された」との見方が広がる。
 国家文書管理局長のウルズィバートル氏は「民主化が進み、ソ連の公文書が公開されたことで、新たな見方が出てきた。あの戦いはソ連と日本の対立がモンゴルで行われたものだった。モンゴルは最大の犠牲者だ」と断言する。
 背景には、満州国との国境画定交渉をまとめようとしたモンゴルに対し、ソ連が圧力をかけていた経緯が公文書からわかってきたことがある。(後略)

もっとも同氏は「日本によって独立が侵されようとしたとき、危険とわかっていてもソ連の支援を受けるしかなかった」とも語っているが。


その他、見出しが示すように元満州国軍人だったモンゴル人の“戦後”についても紹介されている。