書評『沖縄戦 強制された「集団自決」』ほか
先日コメント欄で話題になった『ノモンハン戦争』(田中克彦、岩波新書)の書評がオンラインで読めるようになっています。お盆前にハードディスクが壊れたツケを盆休みに支払っていたのでなかなか読み始められなかったのですが、少し遅れて出た『ノモンハン事件』(小林英夫、平凡社新書)と併読してもう少しで読了するところです。戦前の日本とモンゴルとの関わりについては講談社選書メチエから『日本陸軍と内蒙工作―関東軍はなぜ独走したか』(森久男)といった本も出ているのですが(書評)、こちらはまだ手つかずです。
まだオンライン版には掲載されていませんが、今朝(23日)の朝日新聞朝刊に『沖縄戦 強制された「集団自決」』(林博史、吉川弘文館)の書評が出ています(評者は南塚信吾)。
(前略)
(・・・)住民を巻き込んだ日本の戦争はサイパンからグアム、フィリピン、沖縄、満州へとつながり、絶えず住民の犠牲を伴っていたと指摘する。そして上から下まで戦争遂行のシステムができているとき、その個々の局面を取り上げてそこで個人の責任を問うことは重要ではない。システム全体としての責任を見なければ、沖縄で「集団自決」した人々の犠牲を歴史において報いることはできない、と主張しているようである。同意できる議論である。
強調は引用者。本来、大江健三郎の『沖縄ノート』も強調部のような視点から*1その射程や限界を改めて評価する作業がなされるべきだったのだと思いますが、右派の政治利用によってそれがやりにくい環境ができあがってしまったのは非常に残念なことです。
*1:同時にそうした歴史学的な視点とは別に、当事者が自らの責任をどう考えるかという視点も無視することはできないだろうと思いますが。