戦史編纂官・伊藤常男

以前にこういうニュースが報じられたことをご記憶の方もおられると思います。

(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080113/p1)
この時点では「資料」に「見解」を添付するという僭越をあえてなした人物の名は明らかにされていませんでしたが、その数日後に「琉球新報」が「見解」の主を明らかにしています。

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 日本軍に関する記述について「誤り」などと所見で指摘された史料は「住民の沖縄戦記(伊江島、座間味、渡嘉敷、久米島)」。戦史編さん官を務めた伊藤常男氏が所見を記し「内容には相当の誤りがあるが、住民の気持ちの一端が知られる。日本軍に対する相当の誹謗が記述されているが、実際より誇張されていると思われる」と信ぴょう性に疑問を呈している。
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 所見を書いた伊藤氏は、68年に当時の防衛庁防衛研修所戦史室が刊行した『戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦』(朝雲新聞社)の執筆者。同書は「集団自決」における「自決命令」の有無には触れず「非戦闘員といえども敵に降伏することを潔(いさぎよし)としない風潮が強かったことがその根本的理由」「崇高な犠牲的精神により自らの生命を絶つ者も生じた」と記述している。
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強調は引用者。さて、防衛庁戦史室の『戦史叢書』の編纂姿勢に関する ni0615 さんとのやりとりの過程で次のようなご質問を戴いたのだが。

>戦史室には旧軍出身者がいて戦史の編纂を実質的に牛耳っていたのではないでしょうか。


私の時代感覚がずれているかもしれませんね。いちど「戦史叢書」の編纂者を各巻の後付けを繰って見たこといがあるのですが著者名も判りませんでした。各巻の著者なり戦史室メンバー表などもお持ちですか?


「戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦」担当の “1佐 伊藤常雄”という人物の経歴はわかりますか?
(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090922/p2#c1254356642)

「常雄」ではなくて「常男」だったんですね。ネットではそれらしい情報がヒットしないので図書館で『戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦』を確認し、改めて調べ直すと出てきたのが上の記事というわけです。
さて伊藤常男氏の経歴についてですが、少なくとも「伊藤常男」という氏名の旧陸軍将校が存在したこと、は確認できました。防衛研究所が発行している「史料公開ニュース」の第53号にその名前が見えます。

6|昭12.7.29~12.11.6 歩兵第1連隊北支出動日誌 伊藤常男|伊藤常男|筆者が歩兵第1連隊勤務当時に連隊旗手・小隊長として北支に動員された 際の日誌(複製)|支那支那 事変日誌 回想30

連隊旗手ということはおそらく士官学校出身の少尉ですから、仮にこの人物が後の戦史編纂官だとすると、『戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦』が刊行された1968年時点ではまだ50代半ばというところで、特に矛盾はありません。まあこれは消極的な証拠に過ぎませんが、裏をとるメドはたったと言えそうです。