「動員」という強迫観念

とりあえず一番悪質な例として次のエントリをあげておくけど、他にもいろいろおられた「面と向かってコミットメントをもとめられたわけでもないのにことさら関心をもてないなんて言うなよ」がコミットメントの強要であると思う人々へ。
http://d.hatena.ne.jp/Thsc/20090607/p2


例えばチャンネル桜はいま現在、「【原告募集!】 NHK集団訴訟 「訴訟委任状」提出のお願い」てなキャンペーンをやっております。「委任状出せ」ってんですからかなり強いコミットメントを要求しているわけですが、だからといって「すべての市民がコミットメントを要求される問題などない」とか「どうしても本気で思えないんだ」とか「コミットメントを強要するな」とか言う人はいませんわな。なぜかって、別に自分のブログのコメント欄に「原告募集してます!」って言ってくるでなし、メール送ってくるでなし、まして玄関先まで来てインターフォン越しに「委任状出せや」と叫ぶわけでもないから、興味がなければ端的に無視していればすむわけです。というか、関心がなければふつう気づきませんわな。
個人的には、例えば代用監獄問題や取り調べ過程の可視化について日本の市民にコミットメントを呼びかけるエントリをいくつも書いてきましたが、やはり「すべての市民がコミットメントを要求される問題などない」とか「どうしても本気で思えないんだ」とか言われたことはないんですよね。
人間が他人の目に触れるかたちで文章を書く以上、そこには必ず「呼びかけ」が含まれます。ましてコミットメントの呼びかけを含まない政治的発言なんて形容矛盾です。しかしディスプレイに表示される文字列自体にはいかなる強制力もないのですから、ほんとうに関心のない問題についてはひとは「関心をもてないんだ」「関心をもてなくてなにが悪い」などと言う必要など感じないものです。
ところがある種の問題についてはコミットメントの呼びかけに対して極めて過敏に反応してしまうひとが現れます。「関心が持てないというなら黙っていればいいんで、ことさら関心がないなんて言う必要ないじゃん」ということすら、堪え難い重荷に思えるほどに敏感な人々です。しかしほんとうに関心のないひとは、私のエントリにブクマつけたり私のエントリを前提としてエントリ書いたりしないですよ。関心が持てないんじゃなくて、単に私と同じスタンスで関心をもちたくない(もてない)ってだけでしょ。