予想された判決、ではあるが……

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 判決は「戦争被害者に対する救済問題は、様々な政治的な配慮に基づき、立法を通じて解決すべき問題だ」と指摘し、国に法的な救済義務はないとの判断を示した。ただ、「一般被害者に対しても旧軍人らと同様に、救済を与えることが国の義務であったとの原告の主張も心情的に理解できないわけではない」と述べて原告側に配慮を示した。


 また、原告側は被害者の実態調査や死亡者の埋葬などを国が行っていないことも違法だと訴えていた。この点について判決は国に法的な義務はないと退けつつも、「戦争被害を記憶にとどめ、語り継いでいくためにも、できる限り配慮することは国家の道義的義務だといえる」と述べた。

日経新聞の記事を読みあわせると判決理由がもう少しわかりやすくなる。

  • NIKKEI NET 2009年12月14日 「東京大空襲訴訟、被災者へ賠償認めず 地裁「立法で解決の問題」」

 鶴岡裁判長は判決理由で「当時の日本国民のほとんどがなんらかの形で戦争被害を負っていた。裁判所が救済基準を定立し、選別することは到底困難」と指摘。
 「救済方法は様々な要素を考慮した政治的判断に委ねざるを得ない。国会には広い裁量があり、旧軍人・軍属らとの取り扱いの差異が憲法の平等原則に違反するとはいえない」と結論づけた。

「当時の日本国民のほとんどがなんらかの形で戦争被害を負っていた」というのはその通りだが、東京大空襲の被害は十分に顕著ではないか、という反論もあろう。しかし同様の裁判は例えば大阪大空襲についても起こされており、さまざまな戦争被害に関して多くの訴訟が起こされた場合、裁判所が「救済基準を定立し、選別する」ことになるのは確かで、「立法を通じた解決」がスジだというのはこれがもしもっともっと早い時期に出された結論であれば、受け入れやすいものだったろう。判決が87年の名古屋空襲訴訟最高裁判決に見られる戦争被害受忍論に触れていない(毎日新聞の記事による)ことは、従来の判決よりも立法による救済を促す意志を示しているともとれるからである。87年の最高裁判決から20年以上たっていることを考えれば、一番問われねばならないのが有権者の不作為であることは言うまでもない。